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ちょちょしびりのコーナー
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注:8/19はスペシャルウィークのためコーナーはなし。また、"ちょちょしびりのコーナー"は8/26をもって終了しています。
96年 7月 8日 15日 22日 29日 8月 5日 12日 26日

 96.8.26(SP) 放送 (第47回)  
 その日僕は家族と旅行していました。
 旅館の温泉で体を洗っていると、体の下の方で"叫ぶ詩人の会"の人達が叫ぶスタンバイを始めていました。

 僕は直腸の先にある詩人達の口を座っていた風呂の椅子でふさぎ、必死に叫ぶのを控えてもらうよう説得していたのですが、さすがは正義感の強い詩人達。大腸の中で起こっているいじめの問題についてどうしても叫びたいらしく、説得に応じてくれません。

 仕方なく風呂から出て"詩人の会"の人達に心置きなく叫ばせようとトイレに行った所、リーダーのドリアン助川さんが登場。今まさに詩人達を尻穴から叫ばせようとしている僕に「僕たちは、大腸で起こっている(後ろのメンバー:起こっている!)、いじめに対して叫ばずにはいられない(いられない)。でも(でも)、叫ぶ事で君に迷惑がかかるようなら、僕たちは叫ぶのを止めよう。」と言い、詩人達を撤収させてしまいました。

 ドリアン助川の言葉を信じて再び風呂場に戻って湯船に浸かっていると、再び詩人の会が叫び出しました。僕はドリアンに「約束と違うじゃないですか!?」と言うと、ドリアンは「青春て、複雑だよね。」などと意味不明な言葉を発してどこかに行ってしまいました。
 そして僕の尻穴では叫ぶ詩人の会のライブが始まり、風呂場から人がいなくなりましたとさ。

 今から4年前、私が中学校2年生の時に鉄郎とメーテルが999に乗って私の腸にやって来ました。

 僕は毎朝学校に行く前に必ずトイレに行くことにしているのですが、その日は寝坊をしてしまったためにトイレに行く事が出来ませんでした。
 授業中は何とかなったのですが、給食が済んだあたりで鉄郎が「次の星にはまだ着かないのかい?メーテル。」と言い始めました。そして鉄郎の乗る999は次第に次の星"尻穴星"へと近づいていきました。

 何とか999の運行を遅らせて学校から走って帰りトイレで999を出そうとしたのですが、家のドアが開きません。そう、私は家の鍵を持たずに家を出たのです。
 もう999は"尻穴星"の手前まで来ています。
 私は真っ黒い車掌さんに999を止めてもらうように頼んだのですが、「駄目です。銀河鉄道管理局の規則によりそれは禁止されています。」と言い返されました。
 鉄郎も「メーテル、やっと次の星が見えて来たよ。」などと言っています。

 その瞬間、私の尻穴を999が汽笛とともにモリモリと通過していきました。
 私は気が動転したのか、そこに立ち尽くして誰もいない家のインターホンを2、3回鳴らしました。

 あれは僕が高校1年生、野球部にいた時、鬼監督と言われた体育教員兼任の監督に1000本ノックをさせられていました。

 ある日、弁当のミートボールが妙な味がしましたが、僕は元気にお召し上がりになり、いつものように放課後1000本ノックが始まりました。
 すると突然、急に僕のお腹の中の東京ドームが騒がしくなって来ました。
 どうやら日ハムのブリトーがフリーバッティングを始めた様子。僕のバックスタンドに向け快調にボールをかっ飛ばします。

 現実の僕はトイレに行きたくとも1000本ノックの真っ最中。途中で止めようものなら鬼監督の"素手5000本ノック"を受けさせられるのは目に見えています。
 踏ん張りながらもノックを受けているうちに、段々と東京ドームに来る選手が増えて来ました。
 清原に江藤、大豊に松井と名うてのホームランバッター達がどんどんバックスクリーンに向かって特打ちを開始しています。もう観客5万5千人の僕の東京ドームは満員札止め、大入り袋が配られています。
 次々と沸き上がるお腹の中の大歓声と、マンモススタンドを揺るがすウェーブに耐え切れなくなり、ついに鬼監督に「すいませーん監督、トイレに…」と叫んだ時、うなりを上げて痛烈なライナー性の当たりが僕のどてっ腹を直撃しました。

 そしてその現実の打球が僕の心の東京ドームの屋根を突き破ったのです。僕のお腹はコールド負けでした。
 頭の中で鳴り響く試合終了のサイレンとともに5万5千の大観衆はいっせいに外に飛び出していきました。ブリトーも清原も御満悦のご様子で引き上げていきます。よく見ると、王選手やベーブ・ルースもニコニコ笑いながら出て行きます。
 「王選手が相手じゃしょうがないなー」と放心状態でそんなことを考えていました。
 現実の世界では薄れ行く意識の中で鬼監督の怒りに震える大きな声が聞こえます。
 「神聖なグラウンドで…神聖なグラウンドで…」

 その後色々あって、僕は甲子園の道を諦め、生物部で残り2年半のハイスクールライフを過ごしましたが、悔いはありません。
 それが青春だったから。

 僕は先月までスーパーでアルバイトをしていました。なぜ先月までで辞めたかというと、やってしまったからです。

 7月、夏休み前の日曜日、僕のバイトしていたスーパーでは大安売りをするために朝から大忙し。バイトの僕は休む暇さえ与えられず、当然トイレに行く事も許されません。
 山ほど商品を移動させ、冷凍倉庫や暑い外を行き来しているうちに、僕のお腹の中に住んでいるバーバパパ一家がお出かけしようかと支度を始めたのです。

 僕は軽い気持ちで「オッケー、バーバ!今外に出してあげるからね。」とお腹の中に合図を出しトイレに向かいました。
 しかし店長の「何やってんだ、もうすぐ開店なんだから表のお客様を整列させておいてくれ。いますぐ!」という強い口調にトイレに行けず、外に出る事になりました。
 黙っていられないのがバーバパパ一家。「出してくれるって言ったじゃないかよ!約束が違うよぉ!」と一斉にブーイング。お出かけの準備が完全に整っている彼らは、外出しようと一斉に扉を押し始めました。
 現実の僕はというと、スーパーの表で押すな押すなの大騒ぎになっているオバちゃん連中相手に四苦八苦。
 僕のからだは内と外、両方に押されていました。

 体内のバーバパパは一家入り乱れて色んな形に変形している。おまけにいつの間にかバーバパパ一家の家はたくさんの子供達でバンバン膨れ上がっている。
 しかしそれに気付いた時には既に開店の時間。
 僕はバーバパパ一家に「頼む、出かけられない今日は。自宅待機!」と念じながら1パック75円の超破格の卵を売りさばいていましたが、お客様の「ねえ、この卵臭くない?」という苦情と、その臭いの発生源が2秒で判明した事により僕はスーパーをクビになりました。

 今思ってもどうやって、いつの間にかバーバパパ一家が扉をこじ開けて外に出たのかは憶えていません。

 あれは僕が中学校3年の時、修学旅行。修学旅行で東北に行った時のこと、バスで移動の最中に突然お腹の中のペプシマンが「デッツデデデーデッツデデデー」とリズムに乗ってオープンカーで僕の外に出ようとしていました。

 先生にそれとなく尋ねたのですが、東北の山奥を移動中という事で、次のドライブインどころか次の民家まで40分くらいかかるとのこと。
 そこで僕はペプシマンに出動を40分待ってもらうよう説得をする事にしました。
 「今、ペプシを買おうとして困ってる人はいない。確かに外で困っている人はいるかもしれないけど、あれはコカ・コーラ派だ。」といった説得の甲斐もあり、ペプシマンはしばらくするとお腹の奥の方へと消えて行ってしまいました。

 ペプシマンへの説得が無事終わると、僕は疲れ果ててバスの中で眠ってしまいました。
 それから何分も経たないうちにペプシマンはあれほど僕が説得したにもかかわらず、再びお腹のいい感じの位置でオープンカーのエンジンをルロロロローンと噴かし出しました。

 僕はペプシマンに「いい加減外に出ようなんて考えを持つのは止めて下さい!迷惑なんです!」と心の中で怒鳴ると、ペプシマンは悲しそうな顔をして僕に言って来ました。
 「仮に君が正義の味方だったとしよう。外で私に助けを求めるチビっ子がたくさんいる。君はチビっ子たちを見捨てることが出来るのか?」
 「いやいや、そういう意味で…言ったわけじゃ…」
 そう言った瞬間でした。ペプシマンはオープンカーのアクセルを思いっきり踏み込み、アナル方面へGO!爆走していきました。

 その日泊まった田沢湖の宿で僕と一緒の部屋の人は、僕にだけまくらを投げて来ませんでした。
 96.8.12 放送 (第45回)  
 小5の春にみんなで握りっぺ合戦をしていた時に事件は起こりました。

 当時浅知恵だけは5年で1、2を争う僕はどうにかして特製の強いエアーを出す方法はないかと考え、「そうだ、ズボンやパンツでこされてしまった都会育ちのエアーより、生ケツから生まれたばかりのワイルドエアーを出した方が純度が濃いはずだ」と思い、生ケツに手を当てエアーを出そうとしました。
 エアーだけを出すつもりだったのに、出てきたのはエアーマックスでした。

 そのエアーマックスを握り締めている僕を友達が見ると、意外にも「それは卑怯だよ」「そこまでエントリーできるとは聞いていない」と口々に叫び、その次の日から僕のあだ名は「セメントマッチ」に変わりました。
 (千葉県千葉市・たきたようへい 本名希望)


 僕がクソもらシリーズで初登板したのは、小学校1年の時の国語の授業中でした。

 それは『大きなかぶ』の朗読、学級委員のSさんが読み始めました。物語の中でおじいさんが大きなかぶを発見、引っ張り始めました。
 と同時に、僕のストマックの中の大きなかぶもストマックの中の見知らぬおじいさんに引っ張られ始めました。

 「うんとこしょ、どっこいしょ。それでもかぶは抜けません。」
 Sさんが流暢に読みこなす中、僕の大きなかぶはついにおじいさん、おばあさん、お姉さん、弟、犬が着き、「うんとこしょ、どっこいしょ。」
 僕の大きなかぶも教科書の中のかぶ同様にしぶとかったのですが、最後のねずみさんが手伝ってくれた時にはさすがに耐え切れず、スポーンッ。

 僕は無念の降板。先生にブルペンに連れていかれ、体操着にお召替え。
 そして僕は右手のビニール袋に甲子園の土を詰め込み、学校を後にしました。
 (PN:イグアナの息子)


 伊集院キャプテンは嘘をついて村人を驚かせる狼少年の話は知っていますか?
 専門学校に通っていた1年前の事、〜(テープの代わり目で書けません)〜少年が僕に大声で危機を知らせてくれました。思えばそれが全ての始まりだったのです。

 目的の駅の手前の駅で降りた僕は、ズボンの下の羊達を狼の手から守るため、恥も外聞も捨て駅のトイレの個室に駆け込み、ズボンの下の羊達を狼の通り道から遠ざけ、狼がいつ来てもOKにしました。
 すると、「やーい、ひっかかったひっかかった。」少年の笑い声は狼の通り道を抜けて外にガスとなって出てきやがったのです。本当に狼少年がそこにいたら100回は殴り倒してやる所ですが、実際には僕の空想の事なのでどうしようもありません。僕は泣く泣く個室を後にしました。

 翌日また同様に少年が「狼が出たぞ〜」と僕に知らせに来たのですが、昨日の事もあったので僕は声を無視して学校に急ぐことに決めました。
 「狼が出た〜。出たぞ〜。」
 あんまりしつこく少年が叫ぶので、僕は羊達に通る門を少し開けて外を覗きました。なんと今回は本当に狼が羊達に飛び掛かってきたのです。

 結果は当然ちょちょしびりでした。
 今現在ちょちょしびりの引き金となった狼少年は比較的おとなしくしています。
 みなさんも狼少年には十分注意して下さい。
 (PN:クイズ王西村)

 96.8.5 放送 (第44回)  
 先先週、7月の22日の事です。日本人みんなが大興奮した男子サッカー・日本対ブラジルを見ていた時の事です。

 テレビで試合を見ていた僕は試合会場にいたブラジルサポーター同様、僕のお腹の中にいるブラジルサポーターも日本人である僕に大ブーイングです。
 テレビで試合が始まりました。そして僕の中でも試合は始まりました。

 試合開始早々、ブラジルの攻撃が日本ゴールを脅かすのです。もちろん僕の中でもブラジル選手が日本のゴールを脅かしていました。
 しかし川口をはじめ守りの選手のおかげで前半を乗り切ることが出来ました。
 僕もハーフタイムでトイレに行ったら良かったんですが、やはりブラジル選手も控え室で休んでいるので痛くないのです。

 そして後半が始まるとやはり僕の中でのブラジル選手は前半より元気。
 しかもよく見るとサッカーの神様ペレやジーコまで参加し、僕のゴールをものすごい勢いで狙ってくるのです。
 もう僕は脂汗をかきプルプル震えながらテレビを見ていると、なんと日本がブラジルから1点を奪ったのです。僕はガッツポーズをし飛び跳ねました。
 その瞬間、僕のゴールに同点シュートが。

 僕の中では日本とブラジルゴールが一瞬にして入れ替わったのです。
 日本は1−0でブラジルを破りましたが、僕の中ではどっちのチームも勝ち、僕の負け。
 (PN:いなばひろし)

 96.7.29 放送 (第43回)  
 うちの小学校では、5年生になると収穫祭なる行事がとり行なわれます。
 内容は単純にどこかの農家を借りて植えたじゃがいもを5年生が集まって食べるというだけのものです。
 その年は大量に取れたらしく、当然1人当たりの分け前も多かったのですが、その上当時クラスの"余った給食処理場"だった僕は、みんなが残したそれらを半強制的に処理させられました。

 ふかしたじゃがいもをうがい用の塩だけで20個近く処理する作業は単調で全く面白味が無い、森監督率いる西武ライオンズのようでした。
 その日は土曜日。本来ならそのまま帰れるのですが、部活(剣道部)があった僕は弁当を持ってきていました。僕はそれをまた食べていました。
 友人の古川の「まだ食う?」という声も無視して。

 幸いその日の部活は中止になり、俺は友達3、4人と共に帰っていましたが、その途中僕のお腹の中でスーパープロデューサーの小室哲哉がものすごい勢いで曲を書き始めたのです。

 いもプラス弁当で活気を得たTKは、あまり聴きたくはないんだけどなるべくなら出ないでほしい曲を次々と書き続けました。
 気をそらそうとして飲んだ"イチゴオレ"こと"ともちゃん"も全く効果はなく、TKはそれらの曲をリリースするのを今や遅しと待ち受けていました。
 リリースさせてなるものかと俺は急いで家に帰りました。

 そして「TKの野望を阻止出来る!」と俺は目の前の"WC"の文字を見て勝利を確信しました。「やったぜ小林武史」と。
 ところが便所の中にはinババア。
 「あいあいあい、少し待ってね」。
 TKは曲をリリースしました。
 その曲はアムロ!globe!次から次へとどいつもこいつも同じような曲ばかり。

 その時俺は「あーこれで日本はTKに支配されてしまうんだな」と思いましたとさ。

 僕も小学校2年の時、見事メダルを取りました。しかも茶メダル。

 あれは12月の体育の時間、寒い体育館での飛び箱でした。
 朝から僕の肛門はジャンジャン横丁でした。しかもその日の授業は学校が県の体育何とか指定校に選ばれるかもしれないとかで教育委員会の偉い人達が来ていました。
 よりによってこんな時に。ちょちょしびりンピックの醍醐味です。
 熱血教師の粋なはからいで半袖半ズボンの僕は開脚飛びどころではありません。
 「足は開いて肛門閉めて」を念仏のように唱えて耐えていましたが、ジャンジャン横丁はお祭り騒ぎ。みこしはもうすぐそこです。

 そして意識がもうろうとしてきた時、後ろの女子が「あーっ、変なの出てるぅ。」(恐ろしい事に僕はその時気付いていませんでした)。
 体操ズボンから足にかけてゆっくりとでんぐり返しを続けるウンコ。

 騒ぐ級友、怒鳴る教師、スタジアムにたたずむ僕。
 4年に1度のお祭りだった。

 伊集院さんこんばんは。僕は23歳の青年です。
 実はつい2週間前、僕も体験してしまいました。

 その日の朝、僕はいつもの道をいつものようにアルバイト先に向かうために駅まで歩いていたら、暴走族がゴッドファーザーのテーマをクラクションで鳴らしながら、僕のケツめどを襲ってきたのです。
 僕は暴走族を封じようとケツめどに力を込めて非常線を敷きました。
 ですが、相手は無法者。力づくで非常線を破ろうと躍起になってエンジン出力を最大にしてくるのです。

 「まずい、応戦を呼ばなければ。」
 自分だけではどうにもならないと判断した僕はトイレを探しました。
 ですが使えそうな店は全てシャッターが降りています。トイレが使える店までは最低50メートルは歩かないともう駄目です。
 八方ふさがりの僕の目に入ったのは派出所でした。

 脂汗を流し足を引きずりながらも派出所に着いた僕は「すいません、トイレ貸して下さい」と応援を頼みました。
 トイレの場所を聞いてドアの前に立った時、ついに非常線の一部が破られ僕はやってしまいました。

 暴走族を検挙し終え、窓を見た僕はなぜか自分が犯罪者になったような気分になったのは言うまでもありません。
 96.7.22 放送 (第42回)  
 ちょうど1年前、その日の僕のお腹の中には、活発な奴がいました。
 しかしその日は期末テスト。何とか我慢して学校まで行きました。教室はクーラーがガンガンでした。

 1時間目が始まってすぐに僕の門に誰かが訪ねてきました。
 「何者だ?」との門番の質問に「屁でございます。」との答え。
 「よーし、通れ。」と門を開けた途端に、モーリモリモリモリモリー。

 かなり大きな侵入音だったらしく、試験管の先生も「誰だー、試験中にポケベル鳴らしたのは?」とご立腹。
 先生に言ってトイレで処理していると先生が来て「お前のポケベルだったのか?」とまだ怒っています。
 事情を話して帰してもらいましたが、テストの結果は最低でした。

 その年の夏休みは誰も遊びに来てくれませんでした。

 あれは中3の夏、僕が風呂に入っていると突然お腹の中で臨時列車が増発された様子。
 このままでは行っては行けない駅に到着してしまうので、速攻で湯船から出ようと勢いよく立ち上がろうとしました。

 ですが、蛇口の水の出る所に背中をガリガリガリガリーッとぶつけてしまい、信号機故障の間に列車出発。そして見知らぬ駅に到着。
 そこで初めて、湯船に漂っている列車は"もろこし1号"と判明。

 すぐに本体と切り離したもろこしを回収し、別の排水溝から処理。
 あとは酔っ払ってる親父の番だったから、無罪。

 僕は23歳です。御他聞にもれず、僕のお尻もバイオハザードしてしまいました。それも、おととい。

 大学は夏休みに入り、バイトでも始めようと近くの本屋さんまでフロム・エーを買いに行こうと思い立ちました。
 その日は朝からお腹の調子は確かに悪かったのですが、「本屋まで近い=大丈夫」と神様は言うので、そりゃあ神には逆らえんと心に念じ、すっかりお腹の痛みも忘れ、家を出ました。
 2分ほど経った頃でしょうか、僕の箱根駅伝がスタートを切ったのは。
 あの乱暴者の彼がふてぶてしく大手を振ってやってきました。
 そうです、僕の中からアポロ13号の頭の部分が「チィーッス。」と挨拶をしてくるのです。
 これを無視すると取り返しのつかないことになるので、歩くのをやめ直立不動で肛門をギュッと締めては天火スイッチを切り、ちょっと進んでは切りを繰り返して何とか1区を乗り越えました。

 しかしこんな時の本屋は遠いものです。
 タスキは2区にバトンタッチ。さすが花の2区。肛門ギュッ作戦は既に効力を失っていました。
 そこで電柱に寄りかかり、「そういえばレポート40枚やらないとな」ーと気を逸らそうと努力しましたが、無情なNASAのスタッフ達は水門の抵抗値を急激にニトロターボさせてしまったのです。

 「やばい、どうしよう」と思って気がつくと、アポロ13号どころか、16〜(テープの代わり目で書けません。)。〜アポロがくっつかないように形容しがたい奇妙な歩き方をして、ちょっと泣きながら家までの帰路を急ぎました。
 神様からのお中元だと思っています。

 僕がウンコヒルマンになれたかどうか微妙なところですが、かなりのクロスプレーだった事は確かです。

 忘れもしない中2の、朝の30分間の朝礼の時でした。
 始まって5分くらいした後、お腹の中にいる藤原組長が暴れ出しました。僕は必死に耐えました。
 すると1分くらいで収まりましたが、やはり藤原組長。暴れる時間の間隔は縮まるばかりです。
 頭の中で組長を鎮めようとZOOの"Choo Choo Train"のような明るくノリの良い曲を流し続けていました。その甲斐もなく、組長は怒りを鎮めませんでした。

 皆さんはすぐに列から離れて先生の所に行けばいいと思われるかもしれませんが、何せ僕のいる所は列の一番先頭のど真ん中。先生は列の一番後ろで見回りと、とても列を外れることが出来ません。

 あと5分。僕は顔に脂汗を一杯かき、手にも汗。もう限界です。
 肛門では金八先生の最終回の加藤勝と金八よろしく、必死で警官隊を阻止しようと頑張っています。
 あと2分、2分。まだ校長の長話。
 もう駄目かと思ったその時、運良く朝礼は終わりました。

 「よっしゃー!!」
 心の中で叫び、解散と同時にペプシマンのごとく一目散にトイレに駆け込みました。
 チャックを下ろしベルトを外し、「よし、発射だー!!」とそのひざを130度くらいに曲げた時、そうです、あと1歩の所で……。

 もうその後は自分の集中力の無さにブルーになりながら、ズボンの上に乗っかった組長を拭いていました。
 僕としてはこの体験をアウトと判定していますが?

 忘れもしない中2の夏、友達と一緒に竹の子狩りに行く事になっていました。
 しかしこの所便秘が5日連続続いており、腹の調子は絶不調でした。
 それでも友達と竹の子狩りに行き、腹の痛みも忘れ竹の子を採っていました。

 しかし竹の子狩りが終わりになる頃、ケツの中で「(コンコンコンコン、とノックの音)いる?いる?」という声が聞こえていました。
 まるでチンピラが借金を取りに来るような勢いでどんどん強くなっていきました。
 僕はその時借金を5日分貯めている事に気付きトイレを探した所、360度樹海でした。
 しょうがなく脂汗を垂らしながら借金を6日分まで伸ばそうと必死で努力をしました。

 しかしチンピラが「いるのはわかってんだ!開けるぞ!」と言ってきます。
 僕は人目につかない所で借金を返そうかと思い、死にもの狂いで走りました。
 50mくらい走りあと10mくらいのところでしようとした時、僕の不審な行動に気付いたY君があとを追っかけてきます。それからY君と僕の争いになり、100m前後行った所でY君は諦めて帰っていきました。

 僕は全身でガッツポーズをとり、ゆっくり借金を返そうとした時、「この後どうやって帰るんだろう?」とつぶやき、自分がちょっと遭難気味なことに気がつきました。
 もうゆっくりと借金返済どころではなく頭がパニックになってしまい、自然に借金があふれ出てきました。

 それから2時間後、体育座りで星を見ていた所をなぜか片手にカバンを持った農家のババアに救われました。
 96.7.15 放送 (第41回)  
 あれは中3の時でした。朝からお腹の中がベトナムだった僕は、1時限目が始まってすぐに便所に行きました。
 便所のドアを開けると中から叫び声が聞こえます。中では不良の大樹君がタバコを吸っていたらしく、理科教師の芳賀に怒られています。

 理科教師は僕を見ると「お前もか?」とご立腹。
 腹の痛さで「いいえ」とも言えず、もじもじしていると「ちょっと来い。」と。
 やっとのことで職員室内で僕は「あの、僕はお腹が痛くてトイレに来ただけなんですけど…」と説明。
 この時点でケツのキャノン砲はマキシマム。悲劇はこの次に起きたのです。

 理科教師の「じゃお前は違うんだな?」という言葉に僕は『ボンッ』という音で返事を…。
 そうです。遂にキャノン砲の引き金は引かれてしまいました。床の上に薬きょうがコロリと落ちました。

 高校に行った今でも一部の事情通から僕は『鉄砲』と呼ばれています。

 僕が戦ったのは中2の時。5時間目から何かが生まれ出ようとしていました。
 帰り道でピークに達しましたが、普段通り友達の2人と3人連れで帰りました。

 そのうちの1人T君は乱暴もので毎日僕に飛び蹴りやプロレス技をかけたりします。そして今日のセレクト技はボディブロー。
 入れられた瞬間に生んでしまいました。

 しかし2人には気付かれず、そのまま何事もないように帰っていきました。
 途中2人は「なんかくせーなー?」と言っていましたが、無視。電車は運悪く空いていました。
 座らないのも不自然なので座るとムニュッと粘土をつぶすような感触。2人とも鼻が慣れたのか臭いの事は言わなくなっていました。

 しばらくして僕の降りる駅につき、「じゃーね」と立ち上がった瞬間、ポトリとズボンの裾から転がり落ちました。
 そしてT君が一言、「ウンコ?」僕は何も言わずに立ち去りました。

 次の日から2人は妙によそよそしくなり、T君も僕に技をかける事はなくなりました。

 皆さんはお若い頃になさってるようですが、僕は大学2年にしてキラウェアを噴火させてしまいました。

 その日はあまりに面白い佐藤の"論理学"だったので、彼女に授業を受けさせ眠りについていました。
 ふと目を覚ますと授業終了5分前。「はあ〜ぁ」と伸びをすると、おやおや?成長期でもないのに座高が1cmほど高くなるではないですか。
 そうです。僕のスペースコロニーからガンダムが僕に無断で出動してしまったのです。そのガンダムはものすごい排ガスを発し、半径5m以内にはもう誰もいませんでした。

 しかし優しい彼女はコンビニでトランクスを買ってきてくれましたが、それ以来僕の前に現われません。

 先週はバレーボールのハガキを読んでもらってありがとうございます。今回はあれから1年経った中学校3年の夏休みの話です。

 受験を控えた僕は、地元では絵に描いたようなスパルタ教育で有名な進学塾(今は数年前体罰が問題になり潰れてしまいました)に行ってきました。
 夏の塾といえばクーラーがガンガンに冷えており、僕は授業中お腹が痛くなりました。
 でも先生に言ってもトイレの許可は絶対に得る事は出来ず、逆に怒られる事はわかっていました。だから考えた結果我慢する事にしました。

 しかし、民宿の子供がお客さんの部屋の障子を開けてちょこっと覗くように、僕のケツからは奴が下界を覗いているのです。
 そして僕は「駄目だ、奴の事を考えたら余計出そうになる」と思い、前の晩に見たダウンタウンの「ごっつええ感じ」の事を思い出していました。
 そしてつい思い出し笑いをしてしまったのです。

 その時僕の方に近づいてくる足音に気がつきました。後にこの塾を暴力によってつぶす滝沢先生です。
 「おい?何をやってんだ。俺は真面目に話してんだよ。面白い事1つも言ってないだろ?なんだ、それとも俺の授業中に他の事考えてたのか?」と言われ、僕が「ハイ。」と答えた瞬間、滝沢先生の戦闘値が300上がったのを感じた僕は『殴られる!』と思い全身に力を入れた瞬間、僕の戦闘値が2000上がり、ケツからかめはめ波が炸裂しました。
 もっとわかりやすくいうと、夏期講習で上げた僕の偏差値がケツから40ぐらい吹き出してしまったような感じでした。

 それからテストで僕の名前が貼り出される度に名前の横には"脱糞"と書かれる事になりました。

 僕が小学校6年生の時の事です。6月の梅雨の軽井沢に移動教室に2泊3日で行きました。

 その日は肌寒く雨が降っているので、その中で飯ごう炊飯などをして楽しい時間を過ごしていました。
 僕は雨に濡れたせいかお腹が痛くなり、クーラーのガンガンに効いたバスがそれを助長し、3度目のビッグウェーブで山盛りの油粘土をこねてしまいました。

 周りは友達同士で楽しい会話をしていたせいか、臭いのに気が付いたのは僕だけでした。
 宿舎に着いてトイレで見ると、僕の旅行のために買った純白のブリーフは定食が山盛りによそってありました。
 そのパンツの処理に困った僕は、皆が風呂に入っている間にパンツの名前を油性マジックで消して、何も知らないI君のリュックサックに入れ、僕の完全犯罪は成立しました。

 僕の全ての罪をかぶったI君はいまだに僕の親友です。すみません、I君。

 前略、アナル超特急様。僕はあなたのせいで友達を1人失いました。

 あれは高校3年の時でした。友人の家へと続く緩やかな坂道。
 いつもなら『緩やかな坂道。暮れてゆく空を見ながら…』などと小粋なポエムを頭の中で想像するのですが、その日は『ビールをまーわせ〜!ドンドン。すーごいウンコがあるもんだ〜』というオペラとともに、大腸が作り出す量産型ウミモグが。

 「そ、そうだ。友達の家でしよう」と思い、半分ウミモグがフライングした状態で友達の家へ。
 「やったー」とすかさずトイレを借り、ズボンとパンツを同時に降ろし、いざ、ブシューッ!どうやらウミモグはコルクの栓の役割だったらしく、栓が抜けた穴ポコからは大量のきんと雲が便座カバーの上に。

 僕は「こりゃまずい」と言うんで、きんと雲が陳列された便座カバーを隠しました。
 その日以来音信不通です。
 96.7.8 放送 (第40回)  
 僕が小学生だった頃、友達とプールで遊んでいました。
 そしていつの間にか『誰がビート板を水中から遠くに飛ばせるか』の競い合いになりました。

 「一番遠くに飛ばせた奴はチェリオをおごってやる」という友達の言葉に僕は燃えました。
 ビート板を力いっぱい水の中にグーッと押し込んだ時、ポーンという音とともに脱糞。(テープの代わり目で書けません)。

 結局僕が一番だったのですが、その状況をどう脱するかで頭が一杯でした。
 そこで小学生、さすがに頭が悪く、プールの壁から出てる水流で遠くに流そうと考えてしまいました。

 その後プールは僕の爆弾がそこら中に漂い、すごい騒ぎになっちゃったけど、バレなかったしチェリオをもらったんでまあいいやと思いました。

 今でも忘れもしません、僕がファイト君になったのは。

 5年前の4月、中2になったばかりの事でした。
 バレー部に所属していた僕は、新入部員の面倒を見させられました。僕はここでなめられたら駄目だと思い、厳しい先輩を演じ、レシーブ、トス、サーブと順調に教えていきました。

 そして悲劇が起こったのは次のアタックを教えた時でした。
 僕は後輩達に「1年生はとにかくね、自分の力を込めて1球1球しっかり打てよ。フェイントとかコースを考えて打つのはもっともっと後になってからだから。とにかく勢いよく踏み込んで精一杯ジャンプして思いっきり打て。よーし、見本を見せる。」と言いました。
 もうあとは予想通りの結果です。

 ジャンプをし、ボールを打った瞬間、なぜか体が300gほど軽くなったような気がし、僕の強烈なアタックが相手コートに落ちた時には、味方コートには強烈な物体が落ちていました。あの時の後輩の「ナイスアタックーッ!」という言葉は今でも耳の中に残っています。

 それから1ヶ月、僕のファイトの跡もファイトの臭いもコートから消えた時にはバレー部員名簿からもちろん僕の名前も消えました。

 私は女子だけど、ちょちょしびっちゃいました。

 あれは私が中3の時、当時私は馬鹿というか阿呆で、人より少し変わった考えを持っていました。
 確か8月、部活の帰り、東西線シートの一番はじで眠っていた私のケツ間からチロッと奴が顔を出したのです。

 私は「ちょっと待って、このまま我慢すれば家まであと15分でしょ?その後自転車で5分。全部で20分、いける?」と思い、真っ青な顔でプルプルと震えながらも降りる駅まで何とか我慢していきました。
 その間に私が余りに凄い顔をしていたため、隣に座っていたババアが「お腹痛いの?」とアメをくれたり、色々あったのですがそれよりも今考えると、なぜその駅のトイレで素直にちょちょしびんなかったのか不思議に思います。

 というのもトイレの前を通った時私は「はっ、何か今私、すごい頑張ってる。ようし、このまま家まで持てば、私ヒーロー?」などとバカな事を考えてしまったのです。
 案の定私は自転車に乗り坂道で踏ん張った途端に、「うぅぅ〜ん」という声とともにちょちょしびりでした。

 そのパンツを袋に入れてマンションの下の芝生に埋めたのですが、次の日の町内会の草むしり大会で見つかってしまいました。
 しかも、覗き込まれたパンツに私の名前が書いてあった事は一生忘れません。

 僕が中2の時です。国語の授業中に特急かりんとうが発車しました。

 『朝にちゃんとして来たのに…』と思いながら先生に「すいませーん、トイレ行きたいんですが。」何度言っても「何で授業の前に行かなかったの?」と行かせてくれません。
 そしてついに、少しだけ出てしまいました。

 『少しだけだから大丈夫』と思いましたが、とめどもなく後から後から出てしまいました。
 じっとバレないようにしていましたが、周りの友達が「なんかくせー、なんかくせー。」と言い出しました。
 後は全身に脂汗を出しながら何とかごまかし、授業が終わったらダッシュでトイレに入り、その当時はいていたブリーフをくみ取り式の便所に捨てました。

 その時僕の異常に気がついた担任がトイレに来て、僕は全てを白状したら「帰れ。」と勧めてくれて教室からカバンを取ってきてくれたりしました。
 あの時の担任の恩は忘れません。