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珍肉番付 |
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注:95年12月18日、96年2月19日、4月8日、4月15日、6月10日、6月17日はスペシャルウィークのためコーナーはなし。このコーナーは96年7月1日放送分をもって終了しています。
また、不明な部分を教えて下さった湯若史樹さん、ご協力ありがとうございました。m(_)m
先日うちの高校で大掃除がありました。土曜日の午前中全てを使っての大掃除という事で、クラス全員そこそこ真面目に働いていました。ただ1人を除けば。
その1人は木戸君。彼は掃除をサボっているのではなく、仕事をもらえないのです。というのも、廊下を雑巾がけさせても行ったり来たりで曲がることが出来ず、突き当たりでもがいていたり、モップがけを頼んでもいつのまにかモップの先の毛が全部無くなっていたりと、何をやらせても足手まといになってしまうからです。
そんな木戸君に、うちの担任の金山先生が何の気まぐれか掃除の仕事を頼む事になりました。「いいか、木戸。木戸、木戸?今から、全部のクラスに行って、ゴミ箱を集めて来い。そしてそれを、焼却炉の所にいる、体育の林先生に渡してきてくれ。いいな?ゴミ箱を林先生に渡してくるだけでいいんだぞ。それでお前の仕事は終わりだ。頼むぞ。」
久しぶりに仕事を任せられ、ウキウキ気分の木戸君。さっそく各教室を回り、ゴミ箱の回収に回り出しました。そうして2年E組の教室に入った時、木戸君の思いも寄らない事が。そう、ゴミ箱がないのです。
近くにいた女子に「僕の箱は?」と聞くと「ああ、ごみ箱?ごみ箱ならさっき菊池君が…」と答える女子。「なにぃ、あいつか。逃がすものか…」とロケットダッシュ。
そんな事は知らず鼻歌混じりで階段を降りる菊池君。その後ろから「みぃーつけたぁー。」の声。くるりと振り向いた菊池君の目に映ったのは、まっすぐに飛んでくる沢山のゴミ箱でした。ゴミまみれの菊池君を尻目に木戸君、「5つ投げて6つ拾った。得。」と言ってこぼれたゴミなどおかまいなしに次のゴミ箱を求めて去っていきました。
そういった事の顛末を聞かされた金山先生。心配して教室をウロウロしていると、焼却炉にいるはずの林先生がやってくるではありませんか。
「あれ、林先生。焼却炉の方はどうしたんですか?」「いやねぇ、なんか調子悪いみたいで今補修作業してるとこなんですよ。」この言葉を聞いて金山先生は2つの事に気づきました。まず1つは、あの木戸君が焼却炉が補修中だという事を理解出来るかどうか。そしてもう1つは木戸君に「林先生にゴミ箱を渡してこい」と言った事です。
嫌な予感がして焼却炉の方向を窓から見てみると、今までに見たこともない黒い煙が立ち昇っています。あわてていると、教室の入口から元気な「みぃーつけたぁー。」の声とともにゴミ箱がピッチングマシーンのごとく次々と林先生に投げつけられます。
その後林先生にひっ捕らえられた木戸君は、掃除どころかしばらく授業も受けなくていいと言われていましたが、結局木戸君が焼却炉で何を燃やしていたかはいまだに謎のままです。
[横綱]
僕の家は古くから商店街で本屋さんをやっています。その本屋の一番の敵といえば万引きです。こればっかりはいつまでたっても無くならない物、と諦めていました。そう、浜崎君がバイトに来るまでは。
彼は店の表に張り出されていたバイト募集の紙を大声で音読し、その直後店に入ると店番の僕の前で暗記したてのさっきの張り紙の内容をまた大声で発表していました。この男、本人は大卒と言っているのですが、国語が苦手、さらに計算だけが苦手らしく4冊以上の本を合計する事が出来ません。
そんな浜崎君ですがとても勤勉です。好きな時間にバイトを入れてもらおうと勤務表を渡して来る時間を書いてもらった所、月曜から日曜まで開店の朝9時から昼3時までと、昼4時54分から閉店の夜11時まで全て赤く塗りつぶしてきました。
「あのー浜崎君、この日中の2時間は何かなー?」と聞くと「ぼ、僕は10チャンネルのお昼のサスペンスを見るのが義務だから。」とのお答え。何はともあれそんな浜崎君を面白そうなので雇ってみる事にしました。
「浜崎君、本屋さんの1番の敵は何だと思う?」と僕が万引きについての注意をしようと問い掛けると浜崎君、普通の人じゃ曲がらない方向に首をかしげて一言、「…怪獣?」
……とりあえず僕は彼に万引きの対処方法を教えた所、彼の返事は「オレ国オレ法でさばく。」とのことでした。
あくる日、さっそくバイトをしにシールがベタベタ貼ってあるママチャリをウィリーさせながら浜崎君登場。電車の網棚に荷物を載せるかのようにママチャリをアーケードの屋根の上に乗せると、何やらたくさんのガチャガチャした物が入った風呂敷きを持ってきます。
何かなぁ?と気にはなりながら店番を浜崎君に頼みその場を離れて3時間後、店に戻ってきた僕の目に入った物は、店中の要所要所に散りばめられている鏡でした。その小さな鏡の向いている方向を1つ1つたどっていくと、全てがレジにいる浜崎君の元の大きな鏡に行き着きます。それを凝視する浜崎君。
彼は「僕のお釣の間違いは万引きを捕まえて取り戻す。」その時レジの中は開店時にあった5万円ほどが売り上げを重ねて700円になっていました。浜崎君の目の前の鏡にはどこをどう見ているのか分かりませんでしたが、店内をくまなく見張れる様子。
少しでもお客が怪しいそぶりを見せると、浜崎君は「隠すな!そこのドラえもん44巻持った奴。ちゃんとレジで出せを下さい。」と彼オリジナルの敬語が飛び出します。
そんな人間赤外線カメラの浜崎君の前を、万引きのブラックリスト常連、近所の高校の悪ガキたちが入ってきました。彼らは浜崎君のせっかく緻密な計画で並べた鏡をバラバラと落とすと浜崎君、「エマージェンシー。エマージェンシー。」とわめきながら鏡を戻します。
僕が小言で浜崎君に「あいつらには特に注意しろよ。」と言うと、「大丈夫、悪い奴は捕まえる。悪い奴ならどんなお仕置きをしても許されるから捕まえてお仕置きする。」とやる気満々。
案の定、奴等は数人で鏡の前に立ち死角を作り、マンガ本をカバンの中に入れていました。そう、いつのまにか浜崎君が天井一面を鏡張りにしているとも気付かず。
「ダウトー!!」店中に浜崎君のバカ声が響きました。そして片手で軽々と広辞林、イミダスなどを投げて攻撃。追尾ミサイルのように悪ガキどもに命中。「ちゃんと買わないと、今度はナックルボールを投げるぞ。」と目をギラつかせていました。
結局悪ガキどもは「今日の所は」という感じでマンガを5冊、浜崎君のレートで600円で買っていきました。
その後、うちの本屋は浜崎君の仕掛けた鏡のせいでボヤを起こし、浜崎ウォッチングにはもう十分すぎるほどの赤字を出したのでクビにしましたが、この間近所の酒屋に小さい鏡が沢山飾ってあるのを見て、今度はお酒の瓶が飛ぶんだなぁと心配しています。
[大関]
うちの近所のラーメン屋"まんぷく園"には、30分以内に平らげると1万円もらえる"地獄ラーメン"というメニューがありました。普通のラーメン4杯分というこの"地獄ラーメン"、量だけでも地獄なのに味がまたHell。ついたキャッチフレーズが"ボリューム満点、味赤点"という代物。
柔道部員から体育教師までほとんどの大食い自慢が破れた今、トゥナイトの石川そっくりの親父に一泡吹かせるには、我がクラスの味覚バカ、「中町君、昼休みなのに何食べてるの?」「牛乳のふた。」こと中町一清君を出すしかありません。
さて決戦当日、"まんぷく園"にあらわれた中町君。あれほど口を酸っぱくして「朝メシ抜いて来いよ」と言ったにもかかわらず、右手にフランスパンを持ち、ちぎっては食いちぎっては食いの入場。ようやく取り上げた時には残り4分の1になっていました。
「親父ー、地獄ラメーン下さい。」開口一番、伸ばす棒の位置が違うあたりに僕らは底知れぬ恐怖を感じました。ニヤニヤしながら寸胴に麺の玉を次々とぶち込むトゥナイト石川を尻目に、インタビューしてみる僕。
「中町、大丈夫か?いけるか?」それに対する中町君の答え。「中町。だいじょぶ。いける。」実にシンプルな、ディズニーアニメに出て来るインディアンのような口調でした。
いよいよ地獄ラーメン登場。すると中町君はうずらの卵ほどの脳みそで作戦を考えてきたらしく、水差しをわしづかみにするとどんぶりの中にドクドクと水を注ぎ出しました。
「味を薄くすれば、どんなにまずくてもいける。」きっとこんな考えがこつぶちゃん脳みそをよぎったのでしょうが、そこはこつぶちゃん。スープの量が2倍に膨れ上がっている事には気付いていない様子。
そして猛チャージ。ガツガツと麺をすすりスープをゴッキュゴキュ飲む中町。そして3分の1まで減った所でまたどんぶりになみなみと水を注入。3分の1になっては水、3分の1になっては水、もう軽くスープだけでも地獄ラーメン3杯分は食べたという頃、中町君が急に気付いて吠えました。
「……薄いー!」どうしよう。残り10分を切って中町君が止まってしまいました。オロオロしている僕らに中町君から打開策が。
「親父ー、まぼどーふー。」
麻婆豆腐は"まんぷく園"でも唯一まだましな食べ物。南青山少女歌劇団で言うMASKみたいな存在で、親父が5分でいい加減にこさえた麻婆豆腐をでろりと麺の上に乗せ、ここから先は麻婆豆腐味のつぶつぶジュースを1リットル、4分フラットで飲み干す中町君びっくりショーでした。
僕らは中町君を拍手でたたえ、親父が悔しそうに1万円を手渡すと、中町君はフランスパンの残りを食いながら帰っていきました。
風の噂では、その後1ヶ月の間中町君は週に3度のペースで地獄麻婆ラーメンを食べ続け、"まんぷく園"はつぶれてしまったそうです。
[横綱]
去年の夏休み、高校の友達と近所の墓地で肝試しをした時の事。楽しいはずの肝試しに「よばれてないのにジャジャジャーン」とばかりに土屋君こと肉戦車が来てしまいました。タンクにはそもそも肝を試す必要などありません。九九がきちんと言えるかどうかを試すべきなのです。
ルールは簡単で、懐中電灯の明かりだけで墓地の一番奥まで進み、僕らが昼間のうちに置いてきた人形を持って帰ってくるというもの。スタート前に怖さを盛り上げようと怖い話なんかをしてたのですが、どんなに怖い話よりもタンクが話そっちのけでモグモグ食べている団子の入手先の方がずば抜けてスリリングでした。
スタート予定時間は午前2時だったのですが、タンクが白い菊の根っこをくちゃくちゃ噛み始め、気持ち悪いフラメンコダンサーのようになっているのに耐えられず、午前1時過ぎ肝試しはスタートしました。
まず、トップバッターはタンク。そもそもやっかい者を最初に片づけようと送り出したのですが、1分間隔で続くはずの皆が「タンクの潜んでいる闇に行くのは肝試しの100倍怖い」と言い出し、タンクが帰ってくるのを待つ事になりました。
3分後、墓地の向こうの方から「げっぺい見つけ〜」などのタンクの歓声が聞こえてきました。10分後、ゴトゴトゴトゴトーッと石がドミノ倒しになるような音が聞こえました。20分後、2組目のスタートを待たずして肝試しは終わりました。
理由は、タンクが人形を持って無事帰ってきたからです。もう少し詳しく説明すると、タンクは僕らの置いてきた30cmほどのリカちゃん人形ではなく、1m50cmの石仏を背負って笑顔で持ってきたのです。
当然僕らは蜘蛛の子を散らすように解散。その後タンクがどうしたのかなんて知った事ではありませんでした。
数日後、町会で出している"2丁目便り"というしおりに"現代の傘地蔵?歩くお地蔵さん伝説"を見て、「あのバカ、レジェンドになった…。」と思いましたとさ。
[横綱]
隣町の山奥に、でっかいゴルフ場があります。ゴールデンウィークにそこに友達の珍肉君とアルバイトに行った時の体験を書きます。
連れて行った珍肉君の名前は栄君といい、体力測定では校内一の記録を出すもののスポーツのルールを全く覚えられないため、紙芝居クラブに入ってただ見ているだけという男です。
彼はゴルフというものを理解出来ていないため、「あのね、白くて丸いでこぼこした小さい球を集める仕事」という言葉で何とか説明し、ゴルフ場まで行きました。
その説明の甲斐あってか栄君はすこぶる働いてくれました。森に入ってはゴルフボール20個あまりを抱きかかえてきたり、谷にすべりおりては球30個あまりを担いで戻ってきたりと大活躍です。
そんな栄君が突然、頭から大きな"?"を垂れ流しています。僕が「どうしたの?」と聞くと栄君、「中身無い。中身逃げた。」という返事。すると、始球式などに使うカラースモークの出るゴルフボールの抜け殻でした。
そこで僕は余計な事を言ってしまいました。「ああ、ゴルフボールの中には1000個に1個純金が入っているんだよ。そのボールは当たりで、既に誰かが抜き取った後だよ。」
僕はほんの軽い軽い冗談のつもりで栄君に話したのですが、純真な心と鈍感な体を持つ栄君、「確率は?」と聞き返して来たので、思わず「んー、やや重い奴。」と教えると、「よっしゃー!!」とプレイ中のゴルフコースへと入っていきました。
「止めなくては…」そう思って追いかけましたが、栄君のバカ走力にはとても追いつけません。ようやく栄君の姿を確認した時、既に素手で飛んでくるボールをダイビングキャッチしている姿でした。「これ普通の重さ。」とボールを池に投げ込む栄君。手は真っ赤に腫れ上がっています。
次々と飛んでくるボールを素手で掴み続ける栄君。もし彼が野球のルールを理解し、甲子園に出ていたならばきっとドラフトで全球団1位指名されるだろうと思えるほどでした。
僕がそんなことを考えているうちに栄君、池に向かって飛んでくるボールにダイビングしたためボチャンと池の中へ。しばらく上がって来ないので「死んだか?まさか。」と思って水面を見つめていると、山ほどのゴルフボールを抱えてザバーッとゴジラ来襲のごとく飛び上がりました。そして彼は「宝、宝。」と喜んでボールを全部持ち帰るべくカバンにびっしりと詰めていました。
その後栄君は草むしりの時にグリーンの芝生を全部掘り起こしてしまったためクビになりましたが、後日栄君に「あのゴルフボール中に当たりはあった?」と聞くと、「あったあった。うん、あった。」と言っていました。
彼の両手には真っ白な包帯がぐるぐる巻きにされており、大好きな紙芝居を見ていても拍手が出来ないと言ってしばらくは嘆いていましたとさ。
[大関]
僕の学生時代には、まだまだ都会にも珍肉がいたのを思い出しました。中学校3年の受験の真っ只中、6月だというのにかなり暑い日でした。D組の市永君が美術室の鏡をじっとにらんで目をキョロキョロさせています。僕が「何をしてるの?」と言うと「間違い探し。」
そんな市永君は大の手品好き。といっても学芸会やお楽しみ会でやるような甘っちょろいものではなく、昔からの引田天功ファン。土管の中に入り爆竹を投げ込ませては髪の毛をちりちりにさせながら「奇跡の脱出。」と言って出て来たり、女子が着替える教室に先に潜み、女子が着替えている最中に教室から抜け出し、下着を盗んで来ては「これぞマジック。」と微笑んだりしています。
そんな市永君もついに大脱出にチャレンジする事になりました。昼休み、教室の後ろの方で市永君と遊んでいると、市永君が急に「テレレレレレー」とエーゲ海のテーマ(手品をする時によくかかるベタな音楽)を歌いだし、掃除道具ロッカーへと自らドアを閉めて入っていきました。そして中から「さあ、閉じ込めるがいい。どんなに頑丈に閉じ込められようと脱出しよう。」と、空気穴ごしにイキがっていました。
そこで僕らはまず、逆さまにしてみました。そしてドアを開けてみるとあら不思議、「It's
Magic!」と言ってきちんと直立しています。すかさずドアを閉めてさっと元に戻すとさすがに急には駄目らしく、ミジンコのように中央で固まっていました。
そこで今度僕らは外に運び出してみました。4人掛かりで棺桶を運ぶかのような僕らが行った先は、当然プールです。ジャボーン、ブクブクブクー。沈んだまま浮いて来ません。「おい、さすがに縄跳びで巻いたのはまずかったんじゃないのか?」とか「いや、運ぶ間にあちこちぶつけたのが悪かったんじゃ?」と心配していると、掃除道具入れはうつぶせに浮いていました。
僕らは急いで市永君を引き上げようと掃除道具入れをプールサイドに上げました。しかし、誰も恐くてふたを開けることが出来ません。オロオロしていると、すごい事が起こったのです。横たわっていたロッカーが急にグイーンと直立しました。中からふたを蹴破って出て来たのはずぶ濡れの市永君でした。
そして変な色の泡を吹きながら決めゼリフ。「It's Magic!」そのまま市永君は気絶してしまいました。
それ以来彼は同窓会の度に"脱出王"と呼ばれています。
[横綱]
思い起こせば、僕の幼い頃の記憶の中にも珍肉君はいました。僕が小学校の1年生の頃、近所の悪ガキ何人かで公園に遊びに行ってウルトラマンごっこに興じていました。しかしタロウやエース、レオ、ゾフィーなどのいいもんの役はみんなが取ってしまい、悪役はたった1人でした。そしてそれが珍肉、藤村君でした。
彼は絶対的に不公平なその立場に追いつめられても、彼なりの役作りでバルタン星人になりきり、両手をチョキにしながら上下させ、「ワタシがヒトリでウルトラ一族をタオシテやるノダ。フォッフォッフォッフォッフォッ。」と言っていました。
ウルトラ6兄弟勢揃い対バルタン1人では、モハメッド・アリ対3歳ぐらいの大ハンディ。開始早々、池に落ちるバルタン星人。「まいったか、バルタン!」「…まいらない。フォッフォッフォッフォッフォッ。」
今度はブランコの角が加速度をつけてバルタンに激突。「まいったろ、バルタン!」「…まいらない。フォッフォッフォッ。」さらに追いつめられたバルタン星人は逃げ場を失い、公園を囲ってある5mくらいある金網をよじ登り始めました。
「フォッフォッフォッ。ウルトラマンども、ここまでは追って来れまい。」5m上空で両手チョキにしているバカに、バカにされた僕らはカチンときて、「スペシウム光線!」とか「アイスラッガー!」などと言いながら空缶を投げたり犬のクソを投げたりし始めました。
それでもそれをうまくかわし、「フォッフォッフォッフォッフォッ。」と笑い続ける藤村君。僕ことエースが投げる物を探しに行こうとバルタンから目を離した時、「フォッフォッフォッ、ポ?」という変なバルタン語が聞こえたかと思うと、こぶし大の石がゆっくり落ちて来ました。バルタンにウルトラマンの八つ裂き光輪がヒットしたようです。もう既にウルトラマンになっている場合ではありません。
ウルトラマン改め進君が「ごめん、ごめん藤村。ごめん、大丈夫?」と言ったのをきっかけに藤村君がフェンスの上で泣き出しました。「フォーンフォンフォン。」驚いた事に藤村君は、まだバルタン星人だったのです。
そうしてそれから先はどんなに「降りて来い」と言ってもフォンフォン泣いたままフェンスの上から一向に藤村君は降りて来ません。
そうして小一時間後、ゾフィーの「バルタン星人よ、今回は我々ウルトラ一族の負けだ。来週からは君が地球を守ってくれ。」というわけのわからない説得にやっと応じた藤村は、フォンフォン言いながらフェンスをゆっくり降り始めたのですが、話はこれで終わりません。一息ついている僕に聞こえたのは、「フォーン、ドサッ」という奇妙な落下音でした。バルタン星人は花壇に落ちたのです。皆は頭の中が真っ白になってしまい、ただ茫然と静まり返った植え込みを見ていると、1分くらいしてから、植え込みの中から蚊の泣くような声が。「フォッフォッフォッフォッフォッ…。」そしてニョキッと力強く飛び出したチョキが2本。バルタンは生きていたのです。
それ以来僕のクラスでは"ウルトラマンよりバルタン星人は強い"というのが定説になり、バルタン星人ごっこがしばらく流行っていました。
[横綱]
高2ともなると住んでいる所が学校よりもかなり遠い生徒はバイク通学を許されます。そんなバイク野郎の中にも珍肉はいました。
彼の名は河野君。彼は徒歩で通う学生のために、バイクで荷物を運んでくれるという「俺急便」というのをやっていました。距離によって50円から300円ぐらいで引き受けるのですが、貴重なバイク通学者、大繁盛です。
そのうちにあまりの繁盛ぶりに入っていた陸上部をやめ、バイク便1本に絞るほどでした。
そんな河野君、彼が珍肉である事を暴露したのはつい先日の事でした。いつものごとく、"走る俺急便"というオリジナルソングを歌いながら走る河野君。バイクの後ろには山ほどの"俺急便"に頼まれた荷物が載せられています。「(歌)今日も配るぞ〜俺急便〜いけいけゴーゴー俺急便。」快調にカバンなりスパイクなりを各家庭に「俺急便で〜す!」と運ぶ河野君。
しかし、"俺急便"創業以来の最大のピンチが彼を襲いました。ガス欠です。彼は焦りました。既に前金をもらっている手前、荷物を断るわけにはいきません。その荷物の中には僕が頼んだカバンもありました。
その時僕は予定されていたクラブの集まりが中止になり、"俺急便"よりも早く自宅に帰っていました。そこに1本の電話が。それは河野君からでした。河野君は受話器の先から一言、こう言ったのです。「午後4時57分、家の前で待ってて下さい。あとは、何とかして。」
僕は一体どういう意味なのか分かりませんでしたが、言われた通り午後4時57分に家の前で待っていました。僕はガス欠の事など知らないので、急いでいるから荷物をポーンと置いて走り去っていくのかなーと思っていたら、1台のでかいダンプカーが走って来ました。どうやら上に何か乗っている様子。運転しているのは、河野君でした。
そしてダンプカーの頂上には彼の"俺バイク"と共に数々の荷物が。そして河野君、僕にこう叫びました。「自分で取れよー!」しかし僕にはどうする事も出来ず、そのまま走り去って行ってしまいました。
その後彼を首都高で見掛けたとか、奈良に荷物を送りに行ったなどの噂が飛び交いましたが、その後"俺急便"に頼んだ荷物が本当の宅急便で届きましたが、発送先が青森となっていたのはさすが河野君だなあと思いました。
数日後、事の顛末を聞いた僕らは、「そんなにもうかってたんだったらどうしてガソリンを入れなかったの」と聞くと、「ガソリンスタンドに行っている暇がなかったから」という返事が返って来ました。
結果的にちょっと遠いガソリンスタンドに行かなかったために、かなり遠い青森まで行ってしまった河野君でしたとさ。
[大関](なぜ大関か?作ってるから。[伊集院談])
あれは確か去年の夏、近所で縁日が開かれた時の話です。仲のいい友達とうろついていた所、一軒のちょいと傾いた古い射的屋さんがありました。
にぎやかな縁日にもかかわらず、そこだけ何故かだれも近寄らない、魔のゾーンと化していたその場所に、うかつにも好奇心で近寄ってしまったのが全ての始まりでした。
射的屋の前に僕ら3人が立つと、中から近づいて来た獲物を狙う巨大な暴れ熊がぬっと飛び出してきました。
そして僕たちに、「おう、ぼっちゃん方、楽しい射的屋さんにようこそ。5発100円。豪華賞品、当たる。」と言うと、カーテンで閉められていた射的の的がオープンされました。
そこに並べていたのはニセのルービックキューブ、20年前の絵本、ゴムで出来たウンコ、すっかり色があせて全員が限りなく透明に近いブルーになったドラえもんのぬいぐるみ、仮面ライダーのレコード、臭いライターなどでした。
僕らはとっとと立ち去ろうとすると、その店の親父は「待て。全部倒したら、1万ドルやる。」などと、相場も知らねーのに勝手な事を言って来ました。僕らは親父が何だかかわいそうに思えて来たので、仕方なく100円を払いました。
しかしこの射的、コルクがまともに前に飛びません。たまに奇跡的にまともに当たったとしても、軽いはずのライターはビクともせず、揺れる事すらありません。次々にあさっての方向に飛び散るコルク、そして親父はそのコルクが他の店へと入っていくとズカズカと乱入し、「俺の玉、玉、玉を奪って俺の商売の邪魔か?」と因縁を付け、その店の商品を有無を言わさず奪い、「はい、新しい的ですよー。」と言って射的屋に並べます。
そして何度も飛び散ったコルクを追って商品を仕入れてくる親父。タダで仕入れて来るので親父はもうかって仕方がありません。くじ引き屋にコルクが入った時など、1等商品のスーパーファミコンまで奪って来る山賊ぶり。
そうしているうちに僕は親父に1つの疑問をぶつけていきました。「あのさ、あのライターさっきからいくら撃っても落ちないけど、実は落ちないように貼り付けてあるんじゃないの?」
すると、親父の目は山賊になりました。「なに?見てろよ。」とライターを持つ親父。その直後、ベリベリベリッ!というものすごい音。射的の台が激しく揺れ、ライターにはヒビが入っていました。「なぁー?取れるだろう?」と言いながらライターのガスを手に滴らせながら、「んー、これは古いからもういい。」と言って捨てると、さっき奪ってきた"10万円貯まるBANK"を何事も無かったかのように台に乗せました。
そこで今度は、僕はこの射的屋のもっと核心に迫る質問をしてみました。「おじさん、この銃さ、まっすぐ飛ばないよ。」すると店の親父の顔は生はげの顔になったかと思うと、「そんなに言うなら俺が手本を見せてやるよ。」と言い、遠くに一本だけある木に向けて銃口を向けました。「まっすぐ撃つぞ!いいな?」と宣言する親父。バシッと発射されたコルク。
しかしそのコルクは、木とは全く別方向の型抜き屋へと飛んでいき、たまたまそこの店の親父が持っていた型を見事にそのコルクできれいにヘリコプターの形に撃ち抜きました。
唖然とする僕らを尻目に、「なぁ?」と言いながらコルクを持って走る親父。結局、僕らは親父が他の店から奪ってきた戦利品を数々抱きかかえて走り帰りましたが、最後に射的の的にされていたのが型屋の親父だったのは、僕の白昼夢であって欲しいと祈っています。
[横綱](永田D、途中で飽きていいかげんな判断。)
あれは小学校6年生の初夏、僕は小学校の帰り道にクラスメートの友達5人と色んな遊びをして帰っていました。
それは鬼ごっこだったり石蹴りだったりするのですが、その日はジャンケンをして負けた人が皆のランドセル等の荷物を次の電柱まで持っていくという遊びをする事になりました。
普通だったら公平な遊びなんですが、僕らには1人、ゴム動力で動くブルドーザーがいました。堀内君です。彼はここ数年ジャンケンで勝った事がありません。なぜなら、昔ジャンケンでパーを出して勝った時に「あいつパーだからパー出すんだ」と皆にバカにされた事から、よっぽど悔しかったらしくそれ以来ジャンケンではパーに勝てるチョキしか出さなくなったからです。
「じゃ始めるよ、ジャンケンポイッ!」お決まりのようにチョキを出す堀内君。事の次第を知っている皆は当然のごとくグーを出します。
6つのランドセルと習字道具入れ、その他諸々をかついで運ぶ堀内君。いかに長身と珍肉さを生かした体型とはいえ、所詮小学校6年生。ちょっとつらそうでした。とは言え、これだけの荷物を運べるのは我が校では堀内君だけ。遊びとは名ばかりの、ていのいい荷物運搬係と化していました。
そうして電柱に着く度にジャンケンでチョキを出して負け続ける堀内君。そのうち皆も調子に乗ってしまい、途中でお菓子を買っては「はいこれも荷物」。道でガラクタを拾っては「これもたった今俺の荷物」と宣言。堀内君の持つ重量をいたずらに増やしていました。
そして28回目のジャンケンが終わった時に、堀内君が持っていた物は、ランドセル6個、習字道具箱4個、縦笛5本、アイス4個、ビールケース3個、野良猫2匹、でかい石、自転車ともはや引きずるのが精一杯という様子になっていました。
そして田んぼの間を突き進む一番電柱と電柱の間が長い道に入るジャンケンをした時、思いもよらないとんでもない事態が発生したのです。
「ジャンケンポン!」一同唖然。今までどんなことがあってもチョキしか出さなかった堀内君の右手は、しっかりと開いていました。どよめく僕ら。涙ぐんで喜ぶ堀内君。僕らはもちろんグーを出していたため、堀内君の一人勝ちです。
乱舞する堀内君の横で敗戦処理のごとくジャンケンをする僕ら。そして負けたのは僕でした。すると堀内君、今までのうっぷん晴らしのためかとんでもない事を言い出したのです。
「俺、荷物。」「…は?」「俺、荷物。」「…は?」道路脇であぐらをかき目を固く閉じる堀内君。どうやら堀内君は「自分は今から堀内ではない、荷物」と言っている様子。小学校の校章を付けているゴリラを運ばされてはたまらない。しかしどんなに謝っても、頑なに荷物になりきっている堀内君は目を開こうともしません。
結局僕は「いいよ、じゃ全部家まで運んでやるよ」と宣言。堀内君こと大荷物をずるずるとひきずって次の電柱を目指しました。
ケツが擦りむけて痛かろうに、カチンコチンに固まった堀内君を見ている内に何だか腹が立って来た僕は、知らない家の玄関に堀内君を引きずり込み、呼び鈴を押して「宅急便でーす!」と言って逃げました。
その日は土曜日。日曜日を挟んで月曜日の朝学校に行く途中その家の前を通りかかると、堀内君が元気に「行ってきまーす!」と飛び出してくるじゃありませんか。見ず知らずの家で何がどうなったのかは知りませんが、堀内君は何一つ疑問に感じていなかったようなので、めでたしめでたし。
[関脇]
学生の皆さんは通学している学校に1人ぐらいは珍肉さんがいると思います。僕らの高校にも1人いました。しかもその珍肉が風紀委員になんかなってしまったからさあ大変です。
その彼、大矢君は何かのはずみで風紀委員に立候補し、そのまま対抗馬が無かったためか、彼に決まってしまったのです。その日から彼の独裁恐怖政治がスタートしました。
朝学校に行くと校門に仁王立ちする男が。もちろん大矢君です。彼は学校に入ろうとする生徒を片っ端から呼び止めて何かをしている様子。
何だろうと思って行ってみると、「ストーップ、ストーップ!」と僕のカバンを有無を言わさず取り上げ、「(歌)もっちーもーのーけんさです〜。」という軽快な歌を歌いながらカバンをあさり出しました。
おもちゃ箱を引っ掻き回すような無邪気な大矢君。「(歌)きっけーんぶつー、はっけん〜。」と、僕のかばんから大矢君が取り出したのは分度器でした。
そして僕に鬼のような顔でこう叫んだのです。「これで色んな物の角度を測って何をするつもりだー!!」…(テープの代わり目で書けません)。どうやら僕は訳のわからない言い掛かりを付けられた上に、大矢君による所の風紀を乱した様子。彼がつけているノートには僕の名前が付け加えられ、祝200人目と書かれていました。朝からいきなりこんな先制パンチを食らわされてしまいましたが、大矢君の私設警察ぶりはこれだけでは済みません。
廊下を走っていた陸上部のホープ、中原君を「廊下を走るな」と言って追いかけまわし、競歩で全速力で走る中原君をいとも簡単に取り押さえ、中原君が「いや、君の方が危ないんじゃないの?」と言っても、「スピード違反の車を捕まえるパトカーはいくら速く走ってもいいのだ!!」と言い返します。
こうして大矢君はどんな些細な校則違反に対しても、「(歌)待て〜い。」と目を光らせ、お手製の"風紀を乱した奴ノート"に書き込んでしまいます。ますますエスカレートしていく大矢君の取り締まり。それはやがて頂点に達する時が来ました。
3時間目の体育が終わり4時間目の現国に入ろうという時、体育の授業が長引いたため皆遅れて教室に入る事になったのです。その知らせを受けてゆっくりと教室に行く現国の長浜先生。その先生の横をチャイムの音とともに駆け抜ける1人のかまいたちがいました。そうです、大矢君です。
彼は教室に入ると入口を閉めきり篭城したのです。そして「みんな遅刻。みんな悪い人。(歌)だっかーら入れーてあげない〜。」とわめき散らしました。
先生達が「おい大矢、お前いい加減にしろ。」とどんなに言っても「先生でも許さない。」と言って開けません。結局ドアを一人で押さえていた大矢君相手に8人がかりでドアをこじ開け、その場で先生達から風紀委員の地位はく奪が言い渡されました。
数ヶ月後、大矢君は今度は生徒会長に立候補していましたが、全校生徒合わせて3票で落選していましたとさ。
[大関]
僕はもう5年もハンバーガーショップでアルバイトをしているのですが、この4月に入ってきた新人アルバイトの高田君がもう珍肉で珍肉で困りはてました。
まず高田君はカウンターに立っている間中、ニコリとも笑いません。まるで毘沙門天(びしゃもんてん)がエプロンを着けたような顔でお客様を迎え討ちます。見かねた主任が笑うように指導すると、お客様1人が来る度に声高らかに「ワッハッハッハッ、ワッハッハッー。」とサタンのような声で笑い、店の売り上げを20%カットしました。その代わりと言ってはなんですが、昼休みにはパンとパンの間にハンバーグを6枚と、フィッシュフライを2枚と、アップルパイを挟んだオリジナルの高田バーガーを勝手にむさぼり、店の損害を20%アップさせたりもしていました。
こんな高田君ですが、仕事への取り組みかたに関しては至って不真面目です。接客マニュアルをどう曲げて解釈したのか、自動ドアが開き、他のアルバイトが「いらっしゃいませー」と言う中、1人「誰?」と怒鳴ってみたり、「ご一緒にポテトなどいかがでしょうかー?」という言葉を省略して「ごいポ?」とつぶやき、意味のわからないお客様が聞き返すと、それをOKとみなしてラージのポテトを無理矢理売りつけたり、ドライブスルー用のマイクで自慢の喉を披露したり、結局高田君は最前線から2週間も経たずに後方支援に回され、ハンバーガーを作る係になったのです。
この時は店の全員が「これで平和が訪れる」と思ったのですが、それはヌガーのごとく甘い考えだったのです。裏方の仕事として、商品が品切れになると店の裏の倉庫から冷凍したハンバーグやフィッシュフライを持って来るというのがあるんですが、日曜などの混雑する日はそれが5、6回にわたる事があるのです。
サボりたいという気持ちが、唐沢寿明が山口智子を思う気持ちよりも大きい高田君。いやでいやでたまりません。昼の一番忙しい時期に、高田君は忽然と姿を消しました。
店にいる人間としてみれば高田君がいないでくれる事はかえって大助かりで、このまま消えてくれればいない間ずっと時給800円あげたいくらいです。誰も探しに行かないどころか、3時間もすると高田君という人の事を誰もがきれいさっぱりと忘れていました。
夕方、いよいよ店の商品が足りなくなってしまい、冷凍倉庫に行ってみるとたくさんのダンボール箱の後ろからかすかに白い煙が上がっているではありませんか。
なんだろう?と思っていくつものボール箱をどかしてみると、一番奥の一角にうっすらと雪化粧をした毘沙門天が。鼻からかすかに白い煙を出し、右手に高田バーガーを持ったまま倒れているではないですか。しかも高田バーガーは元の冷凍食品に半分戻っている様子。1時間やそこいらではこうはなりません。
「誰がこんなひどい事を…」僕が慌てて揺り起こすと高田君はポツリと一言。「見っかっちゃったな、俺の隠れ家。」高田君は渋々店に戻っていきました。
店長は店で死者を出すわけにはいかないと高田君を元のカウンターに戻しましたが、3日も経たない内に、「店長1万円入りまーす。」という言葉を省略して自分のポケットに1万円入ったのがバレて、クビになっていきました。
[横綱]
こないだのゴールデンウィーク、暇で暇で仕方がなかったのでうちで飼っているクソ犬、ゴールドリトリーバーの"プル夫"(5才)をフリスビードッグに鍛えようと、パンの耳とウンコ取りマシーンを持って近所の河原に出かけたところ、気になるあいつがいました。
僕が犬にフリスビーを教えている30分の間、年格好35、6のワイルドな服装をした、「住所は?」と尋ねたら元気よく元気よく「土手」と答えるようなおじさんがうちの犬をじーっと見つめてるではありませんか。
僕はあまりの熱視線に「かなりの愛犬家なんだろうなぁ」と思いつつフリスビーを投げていると、突然おじさんがこっちに歩いてきてこう言いました。「そのフリスビーを取ったらごほうびにパンをあげるの?」僕は「ええ、一応あのフリスビードッグに鍛え上げようかなー、なんて。」と答えている途中でおじさんは「いや、わかった。システムは理解した。」と言って元の土手に戻っていきました。
「フリスビードッグを知らない人もいるんだなぁ」と思いつつ、練習を再開し、フリスビーを投げたその瞬間、土手からおじさんがフリスビーめがけて突進。フリスビーをキャッチして僕の方に猛ダッシュしてきます。そして僕の目の前に急停止して一言。「パンくれ、パン、パン。」。
僕は最初、ふざけているのかなーと思いましたが、それ以降何度フリスビーを投げても犬よりも早くフリスビーを取ってきては「パン、パンは?」と言ってきます。
どうやらおじさんは愛犬家ではなくかなりの愛パン家だったようで、うちのプル夫も、おじさんをライバル犬と認識したらしく、このおじさんよりも早くフリスビーを取ろうと努力はしているのですが、所詮人に飼われている犬。野生のおじさんにはかないません。
ごくたまにおじさんよりも早く取れる事もあるのですが、その時はフリスビーをくわえたうちのゴールデンリトリーバーをおじさんが小脇に抱えて帰ってくるので、結局パンの耳はおじさんの物になってしまいます。
いいかげん僕も犬も疲れ果て、パンの耳も底をつき始めた時、クラウチングスタートの姿勢でどんとこいと言う顔をしているおじさんに、もうこれが最後だという気持ちで渾身の力でフリスビーを投げると、フリスビーは僕の予想を超えて空高く舞い上がり、風に乗って道路の方にぐんぐんと飛んでいき、走ってきたダンプカーの荷台に乗っかってしまいました。うちの犬もこれは無理だと判断したらしく、5、6歩歩いた所から引き返してきました。
でも、おじさんは違いました。ダンプカーの後を追って駆けていくおじさんが見る見るうちに黒い点になる中、ぼくとプル夫は土手に立ち尽くしていました。
夕焼けがとても鮮やかでした。
[横綱]
4月の初めにうちの大学のサークルで花見をやろうという事になり、その場所取りを1年生に頼む事になったのですが、うちの1年生はやれバイトだの、やれバイオハザードだのと忙しく、結局頼む事になったのは我が校でも名うてのバカ、"100段階評価で2"こと松前君でした。
とはいうもののこの和製ペプシマンに 1人で場所取りをまかすのは3歳児にイスタンブールまではじめてのおつかいを頼むのと同じくらい不安なため、心配になって指定した公園にそっと見に行ってみると、確かに言いつけておいた場所は空いているのですが、松前の姿は見当たらずそこにあるのは汚いダンボール1枚という有り様で、そのダンボールをよく見てみると松前の物としか思えない汚い字と、松前特有の文章で「ここ俺ゾーン、入るな。入ったらぶとばっす。」と書いてありました。
「あたり一面花見客のこの一角がこんな紙切れ1枚でキープ出来るはずないじゃないか?あのバカどこに行ってやがるんだ?」そう思った矢先からサラリーマンらしき男が"俺ゾーン"とやらに近づきました。
するとどでかい声で「入るなー!」という叫びが。間違いなく松前君の声です。しかも間違いなくその声は桜の木の上から聞こえてきました。どうやら松前君、桜の上から自分の縄張りを虎視耽々と見張っているようです。サラリーマンを追っ払いそのセキュリティーの確かさに安心すると同時に、松前君の脳みその不確かさに感心していると、そこにまた"俺ゾーン"を荒らす者が。しかも先程のサラリーマンとは訳が違う、「大抵の事は2つの拳で解決してきました」というタイプの人が4人連れでやって来たではないですか。
「おい、ここ空いてるじゃねーか、おいここらで飲み直そうや。」ズカズカとやって来たいかつい男達。するとその真上からけたたましい声で、「侵入者発見、侵入者発見!」4人が上を見上げると同時に松前君がスパイダーマンよろしく降りて来て1人の男を直撃しました。
「ここは言わずと知れた俺ゾーン。どなた様も入ったらダメなの。」わけのわからない見栄を切る松前君に、当然殴り掛かる4人。
僕はあまりの出来事にしっぽを巻いてそこを立ち去り、仲間に花見の場所の変更を告げ、別の公園で花見をしました。夜も白々と明けた頃宴会は終わり、タクシーで自宅へと帰る途中、例の公園の前を通りかかった時に、10時間ぶりに松前君の事を思い出しました。
タクシーを降り、"俺ゾーン"に行ってみましたが、もうそこには誰もいなくただ寂しげに"俺ゾーン"のダンボールが落ちていました。そしてダンボールを拾おうと手を伸ばしたその時、桜の上からガサッという音がしたかと思うと、松前君が落ちて来ました。
「ここは言わずと知れた俺ゾーン。」「いやちょっと待て、オレオレ、オレ。」「あっ、先輩。待ってたッス。皆は?」とキョトンとするスパイダーマン。
結局僕はその日学校を休み、松前と2人で"俺ゾーン"で酒を酌み交わしていました。
[横綱]
高校2年の時、僕らの仲間内がどんどん中型免許を取る中、クラス1のマイルド脳みそスーパーライトの森村君が中型免許を取ったのにはビックリさせられました。
森村君の交通知識といえば、"赤は止まれ、青は進め、黄色はレモン"といかにイエスノーの二択とはいえ、どうやって100問の筆記試験をパスしたのか尋ねたところ、「試験場の窓の外を見て白い鳥が飛んでいたら○、黒い鳥は×というヒントが出ていたから」とのこと。今思えばこの神様のいたずらが彼の伝説の幕開けでした。
森村君をいやいや誘っての初めてのツーリング。みんなが赤や銀のホンダやヤマハのバイクで集う中、森村君は一見クリーニング屋さん風の、ガソリンタンクの横っ腹に知らない国の文字が書いてある茶色いバイクで登場しました。
バイク通の友達すらも見たことも聞いた事もないというバイク。しかも森村君の来た道がヘンデルとグレーテルよろしく黒い煙で一筆書きになっているという不思議な機能が付いていました。その上、頭にかぶったヘルメットは南海ホークスの野球用のヘルメット。肩からサンリオの水筒、ランニングにGパン。僕らは何も言わず最新型のバイクをフルスピードで発進させ、10分以内に森村号を巻く事にしました。
ところが、そんな森村君のウンコバイクの速いの何の。黒煙を撒き散らしながらギュンギュン加速して来るのです。その加速のすごさたるや、2時間ぐらいで僕らが箱根の峠で一休みしている時、森村君のヘルメットに、ウンコバイクをよけきれずに死んだ小鳥の残骸を確認したことからも明らかでした。
夕方の箱根を心地よく走ってると突然、森村君のバイクが止まったのです。心配そうに近づいてみると、「だいじょぶ。ちょっとバテたんだろ?元気出せ。」とバイクをなでている森村君。そしておもむろにガソリンキャップを開けると、こともあろうに水筒から麦茶をドクドクと注ぎ込みました。
僕らは恐ろしくなって「うまいか?ゆっくり飲め。」と声をかけている森村君を置いて家に帰ってしまいました。家に着いた時はもう夜の8時。森村君の事はきれいさっぱり忘れて熟睡し、次の日学校に行くと、教室に森村君がいるじゃないですか。
森村君曰く、「いつも乗せてもらってるので、病気の時ぐらい俺が。」森村君は箱根からウンコ号を引っ張って帰ってきていたのです。その後ウンコ号の後ろに付いていたナンバープレートが巧妙に出来たベニヤ板の手書きの代物だった事がポリスにばれると、森村君の免許はたった2ヶ月弱で取り消されてしまいましたが、この間久しぶりに地元を訪れた時、見たこともない茶色の軽自動車に乗っている森村君を見かけたので、声をかけてみませんでした。
[大関]
僕の出た高校では、全学年対抗マラソンというのがありました。これは1年から3年までの全クラスより1人ずつが代表選手として出場し、1学年10組あるので計30名がマラソンで競うというものでした。
こんな大会に進んで出てくれるのは当時我が1年7組には1人しかいません。沢口君です。彼はお金のためなら何でもやれる金の亡者で、朝は新聞配達、夕方はガソリンスタンド、夜はコンビニでバイトをして学校へは寝るためにやって来るという男でした。
僕らはクラスの皆で彼を雇う事にしました。マラソン大会に出場してもらい、1人抜くごとに1000円あげるという条件で沢口君に話を持ち掛けた所、快くOKしてくれました。
しかしOKしてもらえたものの、相変わらず練習もせずただひたすらバイトに明け暮れる沢口君。「んー、少しは練習したら?」と言うと「あっ、それじゃ拘束料くれよ。」と言い出す始末。
そしてついにマラソン大会。当日、試合開始10分前にバイトを終えてやってきた沢口君。着くやいなや、大して準備運動もせずにスタートとなったのです。
沢口君、1人抜くごとに「1000円、1000円!」となぜか2回ずつ叫び、2人抜くと「2000円、2000円!」。もう1人抜くと「3000円、3000円!」と自分でカウントしていました。
金の力というの恐ろしいもので、到底かなうはずもないと言われていた2年生まで全員抜き去り、気が付くと沢口君の口からは「2万6千円、2万6千円、にーまんろくせーんえーんー!」という叫び声、というか歌が。
さすがにここまで来ると相手は3年生。残り1kmといった地点で初めて沢口君は3年生に抜き返されてしまったのです。すると沢口君の形相は一変し、"大魔人怒る"になったかと思うと、顔から湯気を吹き出しながら「2万5千円、2万5千円、にまんごせんえーん!」と叫び続け、腕や足がバラバラでめちゃくちゃな走法にもかかわらず、一気に加速したかと思うと前に残る3年生を全てゴボウ抜きしたのです。
結局見事1位でゴールイン。みんな唖然とする中、ゴール後に沢口君が言った言葉は「あっいけない、バイトだ。」
そうして沢口君は表彰式にも出ず、引越しのバイトへと出かけて行ったのです。
[横綱]
僕は中学校の時、調理実習クラブというものに所属していました。その名の通り放課後に料理を作る楽しいクラブなんですが、こんな楽しげな部活にも何故か珍肉はいました。
彼の名は関峰君。入部の動機が「こっちの方からいい匂いがしたから」という関峰君、当然まともな料理を作れるはずもなく、仕方が無しに材料の買い出し係に任命されました。
しかし買い出し就任1日目、「マヨネーズを買ってきて」と言ったにもかかわらず、彼が買ってきた物は銀だらでした。こんな、どこをどう工夫すれば間違えることが出来るのか理解出来ない買い物をしてきた関峰君。今思えばこの時から彼の"毎日がはじめてのおつかい"がスタートしたのでした。
まず初めに彼に教えたのは、頼まれた物の商品名を繰り返しながら買い物に行くというごく基本的な方法でした。「小麦粉小麦粉小麦粉…」と繰り返しながら商店街に消えて行った関峰君。帰ってきた時聞こえてきた言葉は、「麦チョコ麦チョコ麦チョコ…」しっかりと手に麦チョコが握られていました。
次に試されたのが商品名をマジックで手のひらに書いて買い物に行く方法です。関峰君は、"キャベツ、にんじん"と書かれたその右手にキャベジンを握って帰還しました。
こんな調子で毎日関峰君の調教に時間を費やしているうちに、学園祭の日が近づいてきました。調理実習クラブは学校内で喫茶店を開く事になっています。今日も誰かが買い物に行かなければならないのですが当然僕たちは忙しく、手の空いてるのは"料理の鉄クズ"こと関峰君だけになってしまいました。
僕は関峰君にどんなことがあっても1回でいいからおつかいを成功させて欲しいと思っていました。そこでボール紙に「どうかこの男にじゃがいもを8個買わせてやって下さい。一生のお願いです。S中学調理実習クラブ一同」と大きく書き、今で言う電波少年インターナショナルのように関峰君の首からぶら下げ、神に祈る気持ちで彼を送り出しました。家庭科室の窓から久しぶりのおつかいにルンルン気分なのか、スキップで出かける関峰君の姿がありました。
「これでやれる事は全てやった、関峰君も分かってくれるはずだ」そんなことを考えて約20分後、校庭の方からざわめきが聞こえてきました。嫌な予感を抑えきれずに目をやると、右肩に4箱、左肩に4箱、合計8箱のジャガイモをぎっしり積んだ宇宙戦艦が砂煙を上げながら突進して来るではありませんか。
全くスピードを落とすことなく非常階段を上り、家庭科室に戻ってきた関峰君は、およそ40キロのじゃがいもを前にフリスビードッグよろしくハーハー言いながら「さあ私を褒めなさい」という目で僕を見ていました。
精も根も尽き果てた僕は「ご苦労さん」と一言労をねぎらい、喫茶店のメニューに"ポテトサラダ、フライドポテト、じゃがバター"を書き加え、喫茶店"S中キッズ・お食事も出来ます"というポスターに"イモ版掘ります"と書きなぐったのでした。
[横綱]
よくお酒を飲むと居酒屋のしょう油差しや喫茶店の灰皿を持ってきてしまうような人は皆さんの周りにも少なからずいると思いますが、僕の小中高合わせて10年来の親友の亀淵君は、日頃はK大学のウェートリフティング部の人望の熱いキャプテンなのですが、ひとたび酒が入ると"深夜の馬鹿力"ならぬ"深夜の力馬鹿"になってしまうのです。
とにかく酒を飲んだ亀淵君は他人に日頃鍛えた自分のパワーを見せたくて仕方がなくなるらしく、僕が今まで目撃した驚異の事件は数え上げればきりがありません。
マンホールのふたを無理矢理こじ開け、思いっきり投げる"謎の円盤UFO"や、駐車してある250ccのバイクを持ち上げてすぐそばに止めてあるナナハンのバイクの上に乗せる"親子バイク"。バス停をかついで急に走り出し、しばらくして戻ってきたかと思うとかついでいるのは1つ先のバス停で、そのままそこに設置して帰る"バス停シャッフル"。
何より恐ろしいのはそんなモンスターのような振る舞いを1晩明ければ忘れてしまうらしく、僕らが何度注意しても「ハハハッ、そんなこと人間に出来るわけないだろ?」と相手にしてくれず、アルコールの入った自分がもはや亀淵君ではなく、無邪気なゴリラである事を知らずにいたのです。
そんなある日の朝、亀淵君から電話で起こされました。亀淵君が電話口でおびえた声で言うには、「とにかくすごい事が起きたので今すぐ自分のアパートまで来て欲しい」との事。恐る恐る夕べ酒を飲んだのかどうか尋ねると、答えは「Yes,TBS」。
僕が急いで彼の部屋に駆けつけドアを開けると、目の前に飛び込んできたのは、"ビーボより美味いのはビーボだけ!"という文字。狭い玄関に立ちはだかっていたのは缶ジュースの自動販売機でした。
ちなみに彼の部屋はエレベーターなしの安いアパートの3階です。僕は自動販売機の向こうで「一体誰がこんな嫌がらせを…」という顔をしている亀淵君に勇気を出して「酒の入った亀ちゃんはね、X−FILE入りして当然の怪獣なんだよ」という事を告げました。
亀淵君はよし子ちゃんがサリーちゃんに告白された時ぐらいショックを受けていましたが、やっと納得してくれました。
もし、もしあなたが江戸川の土手で風に吹かれてポツンと立っているビーボの自動販売機を見たら、亀淵君の事を思い出して下さい。それは最後に彼が酒を飲んだ力で運んだ禁酒の記念碑なのですから。
[横綱]
今日は僕の実家のラーメン屋に彗星のごとく現れ消えて行ったアルバイトの宮塚さんの話を聞いて下さい。
2年ほど前、大学受験で店を手伝う事が出来なくなった僕の代わりが必要だと、親父が"出前持ち急募"と貼ったポスターを見てやってきたのが宮塚さんでした。
親父が「今時自転車で申し訳ないんだけれど」と照れくさそうに出前用の自転車を見せた時の宮塚さんの第一声は今でも忘れることが出来ません。「…コマは?」言っている意味がよく分からない親父に「補助輪がない自転車なんて危険度200。」と追い打ちをかける宮塚さん。
採用してから2分フラットで解雇を決意する親父の表情を察したのか、「だいじょぶだいじょぶ、俺走れる。自転車、速く。」と宮塚さん。今考えてみれば、ちょうどそこに出前注文の電話が入ってしまったのがレジェンドオブ宮塚さんの始まりでした。
なし崩しに採用された宮塚さん。親父が注文の品を調理している間中、店にあった"美味しんぼ"を栗田さんと山岡を上手に演じ分けながら音読し、より一層親父の心配を煽りに煽ったものの、みそバターラーメンと中華丼と餃子が出来上がると、屈伸運動を始め、自分の脚力をアピールし始めました。
「それじゃ、これを3丁目の角川さんまで届けてくれ。角川さんの家はここの道を真っ直ぐ5、600メートル行くと八百屋さんがある。その角を…」と親父がここまで話した所で宮塚さんがものすごいスピードで走り出しました。もちろん岡持ちを持たずにです。
あっけにとられているとものすごいスピードで戻ってきて、「うん、確かに八百屋さんがあった。そこから?」僕も親父もそのあまりのスピードと信じられないほどの効率の悪さに茫然としつつも、「その八百屋さんの角を右に曲がって3軒目の家が角川さん…」最後まで聞くか聞かないかのうちにクラウチングスタートする宮塚さん。もちろん岡持ちは持たずに。
そして猛ダッシュで戻ってきて「確かに3軒目、角川さん。」「…そ、そこにこれを出前して下さい。」2度手間どころか3度手間なのだけれど、その走る速さは尋常ではない。3日4日すればこの辺の地理も憶えて貴重な戦力になると親父はこの大物ルーキーに大きな期待をかけていました。
ところが実際に3日経ってみると、この大物ルーキーが巨人の大森クラスであることが判明してきました。とにかく出前先からの苦情の電話が後を絶たない。
「お宅の出前持ちが窓から入ってきた」「お宅の出前持ちが子供と一緒にファミコンに夢中になって帰ってくれない」「お宅の出前持ちがインターホンごしにずっと歌っている」「お宅の出前持ちが春巻きを1本どうしても食べたいと言ってきかないので食べさせたが、その分の代金は払いたくない」「お宅の出前持ちが泣き止まない」。
そうして4日目、親父にこっぴどく叱られて出前に行ったきり2度と宮塚さんは帰ってきませんでした。親父はあれ以来事あるごとに「野郎、なんだかんだ言いやがって結局逃げ出しやがった」と言っていますが、僕はそうではないと思っています。
まず宮塚さんはそんな事で逃げ出すような普通の人間ではないという事。そして最後に出前に行った先が"上海"という麻雀屋さんだという事。
きっと今でも宮塚さんは岡持ちを持ち、シルクロードを全力疾走し上海を目指しているんじゃないかな?僕はそんな気がしてならない。
[横綱]
このコーナーでは野球バカならぬバカ野球な人々がよく登場していますが、うちの高校の巻島監督ほどのCrazy gonna
crazyはお目にかかった事がありません。
この巻島、まずサインが憶えられません。耳を触ったらバント、へそを触ったら盗塁、鼻をいじったら見送りぐらいの単純なサインにもかかわらず、試合中無意味にへそをボリボリかき続け、我がチームの打たないドカベンこと掛井君に2アウトからホームスチールをさせたり、9回の裏にベンチで頑固なハナクソと悪戦苦闘を開始して、クリーンアップ9球連続でストライクを見送らせて試合をあっさり終わらせたり、しかも自分のしでかした事に全く気付かず、「俺のID野球がチームに浸透していない」などとほざく始末。
ある夏の合宿の事、この現状を見るに見かねたOBの室井先輩が監督に掛け合ってくれました。「もし次の試合で勝てなかったら、学校側と相談して僕と監督を代わって下さい。」室井さんは5年前、監督から秘球ファイヤーフラッシュや逆ひねりフォークというむちゃくちゃな握りで投げる嘘変化球の特訓を命じられ、青春時代の3年間を棒に振った伝説の先輩で、僕らに大変人望のある人でした。
試合前、わざと負けようと思ってる僕らを集めてミーティングが始まりました。巻島の第一声は、「今日の試合、サイン変えるぞ。」の一言。「まず岡島。」背番号15の岡島君が呼ばれると、「岡島を思いっきり蹴ったら、盗塁。だからこうだぞ。」ゲシッ。「これ、盗塁。続いて黒田!黒田を、ボコンッ!殴ったらエンドラン。野坂を、メキメキメキメキッ。バント。それと前川!」エースの前川君が呼ばれました。「お前今日負けたら、秘球スクリューエスプレッソの特訓な。」そう言い残しミーティングは終了。
試合開始から、俄然気迫のピッチングを展開する前川。1人でも塁に出たら、バント、エンドラン、盗塁のいずれかのサインが出る。控えの3人が捨て犬のような顔で見つめるので誰も塁に出れない。0対0のまま9回裏を迎えました。
2アウトランナー無し、バッターは僕。チラリとベンチを見ると、見たことのないサインが出ました。巻島が岡島君を一本背負いで投げているのです。
慌ててタイムをとり監督に尋ねると、「ホームランのサインだよ、もし無視したらお前はハイパーロングドライブ打法の特訓だ!」
恐怖心というのはすごいもので、あれから3年、巻島監督はいまだに監督を続けています。あの日のスコアブックを見ると、僕のサヨナラホームランの所に、後の部員達の筆跡で「地獄に堕ちろ」とか「よけいなことをしやがってアーチ」と書かれています。
[横綱]
小学校6年の時に同じクラスにいた森山君は大のミッキーマウス好きで、あまりにミッキーマウスを愛するあまりに掛け算九九の8段がマスター出来ないぐらいでした。
この森山君、大変なやっかい者で、授業中に小さな紙を回してきて、何だろうと思ってみてみると、蛭子能収が左手で描いたような汚いミッキーマウスの似顔絵から吹き出しが出ていて、そこに「僕の誕生日は11月18日なんだって知ってたかい?」などと聞きたくもない知識が披露されていたり、給食を運ぶためのエレベーターに4階から乗り込み、皆が心配そうに見守る中、「セーフティーバーは私が下げる」と言い残し、給食室へと消えて行ったり、関わって得をする事はまずないのですが、ある日の放課後「ディズニーランドのチュリトスを売る屋台の中に、1台だけストロベリー味のチュリトスがあるんだけど知ってた?知らなかったでしょ?美味いんだよ〜。まあいつも移動してる屋台だからちょっと素人には見つけられないだろうけど」と原田大二郎ばりのボリュームで話し掛けてきたので、つい売り言葉に買い言葉で「知ってる知ってる。それより、バーベキュー味のチュリトス食べた事ある?あれはね、木曜しか出ないんだよ。」ついウソを教えて追っ払ってしまいました。
僕はそんな軽はずみのウソの事はつい忘れていたのですが、それから3ヶ月ほど経ったある日、友人の佐川君がポツリと言いました。「森山の奴、毎週木曜日学校休んでるよな?」僕の顔はみるみる青ざめ、ちょうど次の木曜日が祝日だった事から、佐川君を誘ってディズニーランドに出かける事にしました。
祝日のディズニーランドはそりゃもうすごい混雑で、森山君を見つけるのは困難かと思われましたが、入場して5歩半ほど歩いた所で、どこからともなく「ホーンテッドマンションのオバケの数は999人なんだよ。知ってた?」というデカい声。
声のする方向を見るとそこに近鉄バッファローズの帽子にボール紙で作った耳を付けた手製のミッキー帽をかぶり、見ず知らずの子供にうんちくを怒鳴りつける森山君の姿がありました。
僕はすぐさま駆け寄って、「あの話はウソだった、ゴメン」と謝ろうと思っていたのに、森山君が一瞬早く僕に気付き、ものすごいスピードで走ってきてトミーズの雅に5万ボルトの電流を流したような形相で、「いいとこに来てくれたね。バーベキュー味のチュリトスはどこなんだい?どこなんだい?」と僕の胸ぐらをつかんで怒鳴り続けます。
僕は恐ろしくなり、とっさに「確か魅惑のチキルームの中に…」と口走ってしまいました。次の瞬間僕は地面に叩き付けられ、顔を上げた時には人込みが真っ二つに割れ、魅惑のチキルームの方向に森山君が走っていったと思われる1本の道が出来ていました。
こうなったら最後まで見届けるのがウソをついた僕の義務です。恐る恐るチキルームに近づくと、中から「ハイホー、ハイホー」のメロディに乗せて「チュリトスチュリトス、バーベキュー」というアカペラが。僕はその場で泣き出してしまい、同行してもらった佐川君に全ての話をしました。
佐川君は自分がそんなに恐ろしい出来事に巻き込まれている事を初めて知り、最初は少し怒りましたが、僕の涙と鼻水でパックをした顔を見上げて、グッドアイデアを授けてくれました。
まず普通のチュリトスを1本買ってきてそれに売店のケチャップとマスタードをかけ森山君に渡すというものでした。かれこれ5時間、チキルーム内を全力疾走していた森山君にやっと手に入れたというより作り上げたオリジナルのチュリトスを渡すと、森山君はそのチュリトスを満足そうに食べ、僕のウソはやっと終結したのでした。
あれ以来、僕は佐川君のためなら死ねると思っています。
[大関]
実は僕中学校の時ブラスバンド部に入っていました。というのも必ずどこかのクラブへ所属しなければならないという校則があり、何にもやる気がない文系男が行き着く先というのがどういうわけかブラスバンド部だったんです。
そんな半分ダメ人間コンテストと化しているクラブにも珍肉はいました。そう、キャッチフレーズ・"ティンパニ小脇にちょっと屋上まで"こと、鳴清君です。
彼のパートはズバリ楽器運び。別名"メシを食らうベルトコンベア"と呼ばれる彼はその力を楽器の運搬のみで発揮し、それ以外の時は常にエネルギーを貯めているのか、部室の隅でじっとしていました。
しかしそんな彼にもついに楽器を演奏しなければならない時が来たのです。それは2年の合奏コンクールの時でした。バスドラムがパートの岩沢君が腕を骨折してしまい、運悪く暇つぶしにバスドラム、鳴清君の言う所の"お祭りの太鼓のアメリカ風"をたたいていた所を先生に見つかってしまい、「そうか、鳴清のパートはバスドラムだったんだな」と決め付けられ、急遽出場が決まってしまったのでした。
僕は練習に全く参加した事のない鳴清君がちゃんと楽譜を読めるのかな?と近寄って楽譜ノートに目をやると、平仮名で「たたくやすむたたくやすむやすむたたく、6の段を心の中で言う、やすむたたく、8の段を心の中で言う、はっぱ64まで来たらたたく」と書かれており、僕はとても不安なまま本番に臨みました。
皆が緊張している中、1人アラレちゃんの終わりの歌を歌っている鳴清君。そして演奏開始。鳴清君は初めはちゃんと大太鼓を叩いていたものの、次第に面倒くさくなったらしく、ケリで音を鳴らすようになり、15分たった頃にはそれさえ飽きていました。そして彼の目に入ってきたのは真っ赤になってトランペットを演奏する木村君でした。
鳴清君は楽譜を持ち出しツツツーと、木村君に近寄りました。そして鳴清君がバスドラをたたく番になった時、"ゲフップー"という声と鈍い音が重なった嫌なラッパが聞こえました。続いてリズムに合わせて3連打。ちょっと宙に浮く木村君。
グッタリ足元に倒れる木村君の屍を見ると、鳴清君ポツリと一言。「もうこの楽器音出ない」と言ってトロンボーンの斉藤君の所に忍び寄りました。こうなってしまっては鳴清君、もう演奏する事よりも他の演奏者にボディブローをバチでのびるまでお見舞いする事が目的になってしまっていました。
こうして最悪の合奏コンクールは終了したのですが、その後鳴清君のパートは楽器運びから自宅でおとなしくしている事になりました。
[大関]
あれは去年の夏、僕の家のすぐ近くで働く兄の会社に、雑用のアルバイトをしに行った時の話です。
ビルの3階で色々仕事をしていた僕の目がふと外の道路に行くと、ものすごいスピードで坂を下る手押し車と、その上に体を預けているおばさんがいるじゃないですか。よく見るとその手押し車には"ヤクルト"の4文字が。
兄曰く、このあたりでは有名な暴走ヤクルトおばさんだそうで、どんな人?とあらためて聞いてみると、「そうだなぁ、おまえにわかりやすくいうと亡霊みたいな動きと、武士みたいな反応をする人」という理解しづらい返事が返ってきました。しかしそれもなんとなくですが、言葉の意味がわかっていきました。
向かいのビルのおじさんが「ヤクルト1本!」と言いながらお金を窓から投げました。するとそのお金をヤクルトおばさん、軽く帽子でキャッチ。「あいよー!」と3階にいるそのおじさんに向けてヤクルトを天高く投げました。
その荒業に感動した僕は思わず、「僕もミルミル一本!」とおばさんに3階から金を投げました。するとやっぱりミルミルが一番いい角度で僕の手元に。僕はすっかり調子に乗ってしまい、次の日から4階5階6階とヤクルトを買う場所を上げてみて、やっぱり強者のヤクルトおばさんはものすごくいい角度でヤクルトやミルミルを投げてくれます。さすがに8階以上にトライした時は、「無理無理〜!」という声とともにお金をいい角度で投げ返してきました。
そんなことで僕も楽しいひとときを毎日毎日過ごしていたのですが、遂に最終日になってしまいました。社長から手渡しでバイト代10数万円をもらった時、ふと外を見るとあのヤクルトおばさんを発見。
僕は嬉しくてハイになっていたので、おばさんに「こんなにバイト料もらえたよ〜」とお札をビラビラと振り回していました。しかしあまりにもハイになっていた僕は、ついその手からバイト代を落としてしまったのです。僕はあせりました。
しかしあのヤクルトおばさんの事、きっとバイト代を投げかえしてくれるだろう、でも一応下に降りようと会社の部屋から廊下へ出ようとしたその瞬間でした。ドサーンという激しい音。見るとそれは窓から投げ込まれたヤクルトのびっしり入ったカゴでした。窓から下を見た時、既におばさんの姿はありませんでした。
結局僕はバイト代でヤクルトを買い占めた事となり、仕方なく家まで押し、帰りました。あのおばさんは姿を見せなくなったその後も、会社で伝説になってるとの事です。
[横綱]
高校2年の時、学校を上げて百人一首大会をやらされた事がありました。僕らはやりたくもない百人一首をおざなりに過ごそうと思っていたら、担任が「一枚も取れなかった奴は補習」との声。
その時に「じゃあ、1位を取ったらどうしてくれるんですか?」と言った電器屋の一人息子、その名も力(ちから)君、その名前をクラスメートはもじらずに「バカ力」、さらにはもじった人でも「小学校20年生」と呼ぶその力君。当時の担任はまだ赴任してきたばっかりで、力君の言葉に「それじゃお前が1位になったら古典の成績10をやる」と言ってしまったのです。
そして当日、組み合わせ表を見ると、事もあろうに力君の対戦相手は僕でした。しかし種目は百人一首。そうそう荒っぽい事はできないと思っていた僕が大甘でした。
まずは1枚目、僕の目の前にあったので取ろうとすると、目の前が急に真っ暗になり激しい衝撃を受けました。僕の顔面に飛んできたのは足でした。もちろん、パワー君の物でした。
次に2枚目、取ろうとした僕の顔面に飛んできたのは、リッキーの頭でした。それも真っ直ぐに。あくまでも偶然バッティングしたんだと言い張るメキシコのボクサーばりのリッキー。
ふらふらになっている僕の耳に、3枚目の読み札が聞こえてきました。「これやこの、聞くも聞かぬも…」ここで戦いを放棄していればよかったのですが、この札、蝉丸は僕のお気に入りの坊さんでした。しかも自分の1番手前にあるじゃないですか。ふらふらの意識も手伝って条件反射で蝉丸に手が。そして気が付くと、僕は保健室のベッドの上にいました。
そこから先は見ていた林君に聞いたのですが、僕が倒れた後も力君の主張により試合は続行され、読み手が読む、ゆっくり力君が札を探す、ない時には気絶している僕を裏返しにして僕の屍の下敷きなっている札から探して「はーいありました。」。次の札を読む、そんな調子で力君は99.5枚取って学年1位だったそうです。
「99.5枚?.5枚?」と僕が尋ねると林君は黙って僕の右手を見ていました。握られた右手を恐る恐る開いてみると、破れて半分になった蝉丸が。
今でもその蝉丸はお守りとして大事にとってあります。そして力君ですが、2年のその通信簿をもらう事はなく、その学期の終わりに強制的に卒業していきました。
そのエピソードは笑えないので書きません。
[大関]
僕は毎年神宮球場で売り子のアルバイトをしているのですが、去年の春入ってきた似鳥君は、とっても変わった人でした。
似鳥君は年格好は16歳から30歳後半で、ピッチャーのブロスの背を少し高くしたような人で、いつもクラウンライターライオンズの帽子をかぶっている、頭の中にIDの"あ"の字も無いような男でした。
彼の初日のヤクルトvs巨人戦、僕らは似鳥君(ニックネームはエッフェルに即決定)が即戦力である事を確信しました。この大型ルーキー、普通のバイトなら30個も持てば泣き声を出すような幕の内弁当を前に50個、後ろに50個、計100個かついで小走りに観客席に消えていったからです。
しかし、似鳥君を2年目のジンクスならぬ20分後のジンクスが襲ったのです。弁当を全て空にして戻ってきたエッフェル塔が泣いています。よくよく聞いてみると、「背番号が3X5で、黒光りしたハゲがボールをぶつけた〜」とのこと。目撃者の話と照らし合わせると、どうもミューレンの打った練習ボールが側頭部を直撃したらしいのです。
泣きゲロ混じりのエッフェルとともに、弁当を置いてきた外野席に行くと、100個あったはずの弁当が30個ほどしかありません。そしてそのすぐ横で少年野球チームのクソガキどもがいっせいに幕の内を食べており、泣きながらエッフェルがお金を要求しても、「これさ、お母さんが作ってくれた弁当だから」の一言で、結局試合開始を前に70個の弁当をタダで配り、チーフから「あのねえ君ねえ、もう既に12万?12万の損害だから。歩合から言っても600個弁当を売らなきゃ給料はマイナスだ!」などと怒鳴られ、前後左右に50個、前にはもう50個の250個の幕の内弁当を持って、バベルの塔となったエッフェルはネット裏に消えていきました。
その後も外野で大きな球団旗を振っている満面笑顔のエッフェルや、お客さんに「見えないぞこのオバケ煙突!」と怒鳴られほふく前進しているエッフェルがオーロラビジョンに大写しになり、僕らを心配させたものの、持ち前のキャラクターで幕の内弁当は徐々に売れていきました。
そして試合終了間近、3塁側のスタンドでエッフェルとすれ違うと、弁当はなんと残り30。背中には「僕はゴーレム、弁当を売って人間にしてもらうのです」と書いた紙が貼られてました。少年野球のクソガキの仕業であろうキャッチーコピーに大笑いしていると、後ろの方から大きな声が。
「お弁当屋さーん、ゴーレムのお弁当屋さーん?」振り向くとお金を握り締めたおばさんの姿。「お弁当屋さん、おつりが6万円多かったわよ。」
その瞬間、エッフェルの試合開始前のコメントを僕は思い出しました。「背番号が3X5の、黒光りするハゲにボールをぶつけられた〜」ぶつけたのはミューレン。ミューレンの背番号は9。3X5は15。エッフェルに計算能力はなかったのです。
恐る恐るエッフェルの集金袋を見てみると、250X1020円で30万近い金が入っているはずが、おばさんの持ってきた6万円込みで6万8円。1円玉があること自体おかしいのですが、エッフェルは笑っている。
そしてエッフェルが笑っている間に代打逆転サヨナラホームランが出て、ヤクルトは勝ちました。そしてその5分後に、エッフェル君もサヨナラホームランになっていました。
[大関]
小学校6年生の時に、同じ少年野球チームで同級生だった糸居君の珍肉純情物語を聞いて下さい。
あれは夏休み、僕と糸居君は毎日少年野球の練習に明け暮れていました。僕も糸居君もさわやかないい汗をかいていたのですが、昼休みや練習後、いつも「涼んでくる」と言って近くの橋の下へと姿を消していっている糸居君が気になって仕方ありませんでした。かといって付いて行こうとしても、梅酒を飲ませなかった時の藤田朋子よろしく、本気で暴れられてしまい、追い払われてしまいます。
そんなある日、山口県を大型台風が襲いました。もちろん野球は中止です。その豪雨っぷりがニュースで伝えられているのを見て、何故か子供心にわくわくした僕が窓の外を見ると、目の前の道を水しぶきを上げて全力疾走する糸居君の姿があるじゃないですか。僕は一体彼に何が起こったのかと、母の制止も聞かず追いかけてみました。
走って行ったのはいつも野球の練習をしているグラウンドの方向です。「こんな雨の日でも糸居君は練習する機なのか?」と驚きながら付いていくと、やはり土手のグラウンドに着きました。
そこはまさに河。一歩足を踏み入れると膝ぐらいまで泥水に浸かってしまいます。そんなグラウンドを一直線で駆け抜ける糸居君。ホバークラフト並のスピードで河の方へ進む糸居君。その先はいつも糸居君が涼む例の橋の下だったのです。
しかし河の水はどしゃ降りによって3段ある土手の1段目を完全に塞いでいました。ここで初めて糸居君の顔の表情が見えましたが、彼はかなりマジ、目が血走っていて必死でした。そして彼は河に腰まで浸かりながら橋の下へと一目散。
その時です。彼の姿が水面に消えたのです。僕はビックリして大人を呼びに行こうかと思っていると、今度は5m手前の泥水から糸居君がUボートよろしく頭を出したのです。そして頭上に掲げられているのは…エロ本でした。
これ以上エロ本を濡らすまいと目一杯エロ本を天高く掲げ、岸へ戻ろうとする糸居君。しかし行きはよいよい帰りはこわい。さっきよりも数段水かさが上がっているのです。糸居君は何とかエロ本を頭上で保護しながら、岸へ上がろうとするものの、どんどんと体は水に浸かっていき、しまいには泥水の中から両腕とエロ本が伸びているだけになっていました。それでも糸居君は歩いていました。力強く1歩1歩。その姿を見て僕は泣いていました。
かなり移動が困難になった時、初めて糸居君が僕の姿に気付きました。僕が「糸居君、もう危ないよ。お巡りさんを僕呼んで来るよ。」と叫ぶと、「それだけはやめてくれー、このオッパイは俺の命だー!!」との声。
もし糸居君がここで死んだら、銅像を建てよう。二宮金次郎にも負けない、頭の上にエロ本を掲げた銅像を作ろう。そんなことを考えているうちに、何とか岸にたどり着いた糸居君。
大事に運んできたずぶ濡れのエロ本に少し涙目になりながら、豪雨の中を勇ましく歩いていきました。僕はその糸居君の後ろ姿にエロスの神様を見たのでした。
[大関]
夏休みも過ぎ、体育会系のクラブから文科系のクラブへと学校の主役が移り変わる学園祭シーズン。僕らのお笑い同好会は学園祭でお笑いフェスティバルを開くことになりました。
各部員が2、3人でお笑いコンビを作り、ネタの稽古に必死だった9月の終わりに、入部以来半年弱、一度もその姿を見せたことが無かった副部長の長内先輩が、何の前触れもなく部室にやってきたのです。
「長内先輩、おはようございます!」と2年の鹿川君があいさつするやいなや、鹿川君の体が宙に舞い、部室の壁に叩き付けられました。「長内先輩じゃねえだろ?腹痛え爆笑師匠と呼べ。」鹿川君が右の鼻の穴から血を流しながら「すみません、爆笑師匠」と謝るのを横目に、僕ら1年生部員全員が「何でお笑い研究会にコマンドサンボの使い手がいるんだろう?」と考えていると、爆笑師匠が隣にいた室井先輩を指差し、「学園祭とかけまして」間髪入れずに室井先輩、「爆笑師匠の少年院からの出所ととく。」「そーのこころは?」「皆が心待ちにしていました。」「うまい!イス3個。」大喜びの爆笑師匠と、3つ重ねのイスの上に正座する室井先輩。
僕らはその奇麗な謎かけを聞いて2つの事をいっぺんに学習しました。1つは即座に謎かけが解けなければひどい目に会いそうだという事。そしてもう1つは爆笑師匠が何故部活に顔を出さなかったか、ということでした。
皆が寒い日の濡れた犬のようになって震えていると、「さあ続いて幸楽さん。2学期とかけまして?」師匠がしっかりと見つめているのは、僕でした。「2学期とかけまして?」「…、さ、さ、3学期とときます。」「そのこころは?」「どちらも1学期ではないナリ。」………沈黙。
多分30秒くらいだったのでしょうが、僕らには間下このみが大人になるまでくらいに感じました。「ほほう、こころはの"ころ"とコロ助の"コロ"をかけたナリな?」そんな覚えのない僕が頭がプリっとはてなマークを出していると、「お前上手いな、俺とコンビ組もうぜ。俺考えたんだけどよ、もう落語の時代じゃねーんじゃねえかな?」ご機嫌を取ろうと「そうですよね?」と言ってしまった鹿川先輩が左の鼻の穴と右耳から血を出しているのもお構い無しに「コンビ名はよぉ、フルーツポンチ。」ちょっと嫌だなぁと思ってるはずの僕なのに、「頑張ろうな、ポンチ君」という呼びかけに「合点だい、フルーツ兄貴!」とアクション付きで答えてしまい、その日は上機嫌で爆笑師匠改めフルーツ兄さんは帰ってしまいました。
ところがその日以来、フルーツ兄さんが現われません。学祭まであと1週間になっても、3日になっても、ついに前日、当日になっても来ません。僕はステージの袖で、お笑いフェスティバルに出場出来ないのも残念だけど、それ以上にちょっと安心、なんていう気持ちがしていると、控え室の方から大きな声で「ポンチ君、ポンチ君?ポンチ君!」というダミ声が。
振り向くとそこに、アルミホイルで作ったキラキラの衣装を着たフルーツ兄さんがいるではありませんか。「さぁポンチ君、いよいよ初舞台だね。」「いやっ、でもあの、ネタがないじゃないですか?」「ネタは君が適当にボケたら、僕がうまくツッこむからまかしときなよ。さあお客様が待ってるぞ!」と、僕を舞台に思いっきり蹴り出しました。
僕が口血を出していた事から、何も知らない皆さんはバカ受け。つかみはOK!隣のフルーツ兄さんも上機嫌。とにかく上機嫌なうちにしゃべらなければ。なにかボケなければ。「あ、秋ですね。秋といえば芸術の秋。」この後、食欲の秋、あき竹城とボケようと思っていた僕の目の前が、真っ暗になりました。どうやら延髄切りが決まったようです。薄れ行く意識の中で僕が聞いたのは、「そんなことあるかーい!」というダミ声でした。
カウント3で立ち上がり、何とかもう1ボケ。「秋といえば運動会。」僕はこの後、「皆でウンコをドーッとして、ウンドーカイ〜!」と続けるつもりが、また目の前に黒い稲妻が。そしてエコーがかかった「そんなアホなー!」。かかと落としでした。
カウント9で立ち上がった僕が今度は何も言うことが出来ず、口から泡を吹いていると、「カニかいおのれはー!」ボコーッ。立ち上がれない僕に「タイの仏像かいー!」。気絶してしまった僕に「川谷拓三かー!」。
気が付くと僕は病院のベッドの上でした。友達が言うには、僕は「あき竹城、あき竹城…」とうなされていたようです。
そしてポンチ兄さんはこの件が元で少年Aとまた芸名を変え、また半年間のドサ回りに出てしまいましたとさ。おあとがよろしいようで。
[横綱]
小学校6年生の頃の話、クラスの、アスファルトに素手で落とし穴を掘った男こと、平尾君と昼休み学校の中庭で集まって遊んでいた時の事です。
平尾君、皆に「なあ、太陽にほえろごっこやろうぜ?」と言い出しました。僕らは単なる鬼ごっこ、もしくは刑ドラかなーと思って参加してみると違いました。平尾君はジャンケンで負けた2人に対し、「よし、今からお前ら悪い事してこい。じゃないと俺がお前らに悪い事をする。」と言い出したのです。続けざまに「俺たちは刑事だから犯人じゃないと捕まえられないんだよ。今から5分後、お前らを逮捕しに行く。それまでに犯人になっていろ。犯人じゃなかったらお前らは犯人改め犠牲者だから。」と言って2人は放たれました。
そして1人が購買の消しゴムを万引き。もう1人が花壇の花を引っこ抜くと、魔女狩りのスタートです。平尾君は竹刀を片手に学校中を走りまわりました。しかし、中々捕まりません。それはそうです。平尾君になまはげの形相で追われては、本気で逃げるしかありません。
20分くらい経った頃、学校中に緊急放送が流れました。それは放送室に乱入した、平尾君の声でした。「あー、あー、全校生徒に告ぐ、全校生徒に告ぐ。指名手配犯、6年1組の鈴木、中沢。鈴木中沢を探している。至急、平尾警察まで通報するように。見つけた者には金一封、金一封。」
その声におびえたのが犯人の2人。結局午後の授業が始まっても帰ってこず、平尾君は放課後になっても探し回っていました。もちろん他の刑事役だった僕らも強制的に残されます。もはや遊びではありません。
そして午後5時半、学校の貯水タンクで腰まで水につかって震えていた中沢君を逮捕。午後6時10分、保健室のベッドの下で泣き付かれて眠っていた鈴木が逮捕されました。
しかし、あそびはそれだけでは終わらなかったのです。平尾君は2人を体育館で縛り上げると、「よし、ハングマンごっこだー!」と言って、消しゴムを万引きした中沢君を2階の購買の前に正座させ、口一杯にMONOの消しゴムを詰め込み放置。花を引っこ抜いた鈴木君は花壇に首まで埋められて放置。
僕らは夜中に彼らを助け出したものの、数日間学校に来る事はなく、僕らもまた新番組が始まる度に平尾君が怖い遊びを思い付くんじゃないかとドキドキしていました。
今では平尾君、刑事とは全く逆ベクトルの仕事をしています。
[大関]
つい先日、愛知県の猿だけの動物園こと犬山モンキーセンターに行ってきました。もちろん一緒に行った友達は珍肉です。その名も田辺といいます。
彼は初めは、放し飼いの猿に対して好意的に接していたものの、エサをあげているうちに猿が調子に乗ったらしく、田辺君のリュックの中から勝手にカールを抜いて持ち去ってしまったのが全ての始まりでした。
日頃、「カールの為なら2人は殺せる」と豪語する田辺君。猿をにらむと、リュックの中からみかんを持ちだし、猿にむけてスプリットフィンガーの握りで投げました。すると猿はナイスキャッチ。美味しそうにみかんを食べる猿。
これが火に油を注いだか、田辺君はリュックを振り回して、猿たちに襲い掛かりました。しかし相手はもれなく珍肉である所の猿。ちょっとした隙にそのリュックを奪うと、逃げ去ってしまいました。人間のプライドをずたずたにされた田辺君。半泣きになりながら理解不能な叫び声とともに、猿の逃げた方向へ走っていきました。
僕らは胸騒ぎを押さえ切れず、園長の所に。「半野生の猿はすばっしこくて捕まえるのはちょっと無理だねぇ」とのお言葉。そして数10分経った時です。体中を噛まれ、服をボロボロにしてリュックを持った田辺君が生還してきました。そして彼は、「悪い猿、悪い猿、いい猿、悪い猿、悪い猿。」とつぶやいていました。
田辺君にそれ以上いきさつを尋ねても要領を得ないので、田辺君の走った方向に行ってみると、猿山の上におびえきった30匹以上の猿が。そしてその全ての猿の背中には、サインペンで"悪い猿"と大きく書かれていましたとさ。
[横綱]
あれは小学校中学年位の時のこと、僕らの間では当時TVでやっていた「ザ・ガマン」というのが流行っていました。「ザ・ガマン」とは東京六大学の学生が国内または国外を縦断して数々の我慢に勝ち残っていくというものでした。しかしそれは小学生の考えること、僕らは逆立ちがどれくらい出来るかとか、ブランコをねじって横回転させどれくらい回れるか等の、他愛もない遊びでした。そうです、柳田君が来るまでは。
彼が参加してから「ザ・ガマン」ごっこの主催者は強制的に柳田君になり、逆立ちでどれくらい柳田君のケリに耐えられるかとか、柳田君の手によってブランコの鎖で体を巻かれ、どれくらいまでねじれば聞いたことのない種類の声が出るかなどのTVを超えた超本格的「ザ・ガマン」をやらされていました。
そして夏休みに入り僕らは柳田君のTV番組という名の拷問をしばらくは受けなくて済むと安心していました。しかし電話がかかって来たのです。電話を取ると柳田君の声で「ザ・ガマン、夏休み大会〜!」。
「は?」と聞き返すと「in、みどり公園!みどり公園まで来い。4年1組男子全員だ!来ないものは南極物語の刑!」と一方的に怒鳴って切ってしまい、僕は南極物語の刑というのがどんなものか、想像すればするほどタロとジロが誰もいない南極で鎖を口から血を流しながら噛み切ろうとしているシーンが浮かんで来て怖くなって来たので、仕方なくみどり公園へ行きました。
そこには当然のことながらクラス男子全員の姿が。四国に旅行中のはずの広瀬君曰く、「いやーいきなり四国のホテルに電話がかかって来てさー、『みどり公園に来なかったらトムソーヤの冒険の刑〜!』怖くなっちゃってさぁ。」と皆、見えない鎖ならぬ見えない地引き網で引きずり出されたご様子。
しばらくすると、柳田君の不気味な声が聞こえて来ました。「ふははははは。良く来たな、チャレンジャー達よ!」見ると、いつからそこにいたのか、公園のトイレの上で仁王立ちの柳田君。こうして「ザ・ガマンin夏のみどり公園」は幕を開けたのです。
まずは1回戦、"水ガマン"。公園独特の上に吹き上がる水道の蛇口を最大にひねり、柳田君の手によりチャンレンジャーは次々と鼻の穴に無理矢理大量の水を入れられていき、6人が敗退。
そして2回戦、近くの本屋に連れていかれ、自分のお小遣いでエロ本を堂々と買ってこなければならない"小学生エロ本ガマン"。しかも柳田君、内容がお気に召さないと「はーずれ〜」と叫び、ももを噛んで来るというペナルティにより、7人敗退。
3回戦、"犬ガマン"。柳田君の命令により、町で一番おっかない犬に半ケツを出して近づき、犬の顔にぺたりと尻を付けてくる"犬ガマン"5人敗退。残るは12名。そして4回戦の"砂ガマン"、準決勝の"カニガマン"が終了した時には動ける者は決勝に進んだ3名のみとなっていました。
柳田君、夕陽をバックに声高らかに「決勝戦〜!」と叫ぶと、続けざまにこう言ったのです。「ゴロゴロガマン!」そして柳田君、手持ちのビニール袋からガムテープを持ち出すと、3人の手を後ろ手で巻き、そして滑り台の上に。さらに柳田君のケリ3連発により、無残にも下にすごい勢いでゴロゴロと転がる3人。
結局、公園に必ずあるでっかいコンクリートの亀にしたたか頭を打った高橋君の優勝。でっかく「おめでたし」と書かれた紙をもらって晴れて自由の身と思ったら柳田君、声高らかに「グランドチャンピオン大会ー!」のセリフ。高橋君、今度は体中をガムテープでぐるぐる巻きにされたかと思うと、真っ暗な森の中に投げ込まれていきました。
そして柳田君の「森ガマン、完了。」の声により、この「ザ・ガマン柳田スペシャル」は本当に幕を閉じたのでした。
その後高橋君は虫取りに来ていた小学生にセミの幼虫と間違えられ、くさらない薬Aを打たれたとか打たれないとか。今やどうなっていることやら。
[大関]
僕は進学塾に通っているのですが、おとなしくて温厚な老教師のT先生の話をしたいです。
塾では毎月模擬テストの成績によって、点数の悪い順に席を前から座らせます。となると必然的に最前列のメンバーというのは固定されてしまい、僕らは連中をブラックリスト隊と密かに呼んでいました。
ある夏の日、いつものように先生が勉強を教えてくれる目の前で、これまたいつものようにブラックリスト隊は堂々とイビキをかいて寝ていたり、消しゴムにシャーペンの針を刺し続け「ハーリネズミ〜」と呟いていたり、珍しく真面目にノートにペンを走らせてるなーと思って見ていると、自分の考えたハイパー電流イライラ棒のコースを作っていたりと、まさに先生との間の障害物以外の何物でもありませんでした。
しかしこんなのいつものごとく無視して黙々と授業を進めていたT先生でしたが、ここからがいつもと違いました。ブラックリスト隊でいつもガムを噛んでいる通称メジャーリーガーこと、国辺君がいつものガム伸ばしプラプラゲームに飽きたためか、黒板にガムを投げてくっつけるという遊びをやり出したのです。最前列にいるブラックリスト隊は黒板にペタペタとガムがくっつく様子にすっかり心を奪われ、連中は全員でガムを噛み真似し出したのです。
初めはそれでも無言でチョークを震わせていたT先生も、漢字で蘇我入鹿と書こうとした時に、蘇我の我の字の右上の点にガムがぴとっと付いた時、30秒ほど止まった後、「お前らいい加減にしろー!!」と今まで聞いたことのないような大音量で叫ぶと、黒板を手のひらで激しくバンバンと叩き始めました。
しかし普段やり慣れないことはするもんじゃない。黒板はT先生向けに倒れてきてしまいました。体で黒板を支えるT先生。それを見て、身動きが出来なくなったと気付くブラックリスト隊。よせばいいのにまた調子に乗ってT先生に向けてガムを投げ始めたのです。
必死に黒板を押さえ続けるT先生、それに向けてガムを連射するブラックリスト隊。そしてそのガムがT先生のおでこの村野武憲の位置にぴたっとくっついた時、核ミサイル発射のボタンは押されてしまいました。
先生は黒板を投げると、大きな声で「大化の改新ー!」という怒鳴り声と共に最前列の長机を足払い。転んだブラックリスト隊を引きずり上げ、全員に黒板を持たせるとチョークで黒板一杯に「蘇我入鹿」と書いて教室を去って行ってしまいました。
次の日T先生はいつもと変わらず黙々と授業をしてくれましたが、なぜかブラックリスト隊はその後1度も塾へは姿を現しませんでした。
[関脇]
忘れもしない2年前、3月1日、僕が高校を卒業したまさにその日、同じクラスにいた『住民票のあるパワーショベル』こと大島君ら4人が卒業式の途中に姿を消し、最後のホームルームにも出ず見当たりません。
クラスのトンマルキさんから僕が頼まれたサイン帳に筆ペンで「黒ちくび」という4文字を書きなぐっていい加減に処理していると、コの字型の校舎の向かい側の屋上から黒煙が上がっているではありませんか。
駆けつけてみると、屋上で車座になった4人が灯油缶の中で上履きやカバン、美術で作った手やファーブル昆虫記全巻、OHPのフィルムを燃やしてたそがれていました。
比較的4人とは親しくしていた僕が「何をしてるの?」と尋ねると大島君曰く、「この学校で、俺達が3年間過ごした証ってもんが欲しくてよ。」とセンチメンタルな表情をしていました。
僕は頭の中で「校舎に付いているデッカい時計の下にスプレーで描いた、いつでも3時を指している時計や、体育館のどん帳の鶴の刺繍の首を2本追加して、『キングギドラ』と書いてあるやつは証ではないのかなぁ?」と思いながらも、「わかるよ大島、その気持ち。俺も今、自分の机に自分の名前彫ってきたもん。」と、H2Oの『想い出がいっぱい』が似合いそうなことを言うと、4人の頭の上でブラックライトがピカリと光り、火も消さず階段を下りて行ってしまいました。
僕はクラスに戻って、卒業証書の蓋を誰が一番マーブルチョコっぽく鳴らせるかを競っていると、緊急放送。
「3組大島君、いや大島!お前がやったのはわかってるんだ。大島の行方を知っている奴、至急職員室に来い!」
何が起こったのか目を白黒させていると、「おい皆、職員玄関来てみろよ!」の声。
いち早く駆けつけると、50年前の学校創立以来入口の横にある、1mx2mの平仮名で『こころ』と書かれたデカい石が何かで削られ、『ころころコミック』になっているじゃありませんか。
あれから大島君にも4人にも会うことはありませんが、学校の入口の石は安っぽいニセ大理石に代わり、書いてある言葉も『自覚』という物になっています。
(東京都田無・PN:それでいいのだ)
[大関]
1年ほど前、僕がファミレスでバイトをしていた時の事。
夜中の2時ぐらいでしょうか、年格好30歳くらいのモアイがホールズをしゃぶったようなお客様がいらっしゃいました。
お客様、メニューを差し出すとすぐさま音読を始めたことから察するに、危険度はDランク。
また、注意して聞いていると「プリンーアーラモドー」という独特な読み方をしていらっしゃったので、こりゃFランクは行ってるかな?
一休みしてパルスィートをコップに入れ、指でかき混ぜ照明に透かしてみて「…キラキラしてる。」というロマンチックな感想をつぶやいていることから、こりゃあ最高ランクZ、といった風に見る度にレベルアップしていかれ、スタッフサイドでは誰が注文を取りに行くかでアミダくじが作られたほどのお客様が来ました。
アミダのドクロマークが当たってしまい僕が注文を取りに行くと、お客様は伊勢エビの石焼きグリルの写真を指差し、「こいつ、にらむ?」との御質問。
焼き加減等を尋ねられることはあっても、こんな質問は初めてだった僕が「…ええ、ほどよく。」と答えてしまったことに急におびえ出し、伊勢エビを封印するようにページをめくると、そこにあったのはステーキ。
笑顔を取り戻し「あのー店員さん、この肉は、誰?」との御質問。
僕が途方に暮れていると、「鳥さん?豚さん?牛さん?それともビーフ?」と追撃。
「牛とビーフは一緒です」という言葉はとりあえずほっておき、「ビーフです。」と答えると「よかったぁ。じゃこれを下さい。あと横に付いてるにんじんは、お母さん?」
注文を取り終わったにもかかわらず、にんじんの続柄だのコーンの学歴を聞かれてもうっとうしいと、伊勢エビのページをもう1度開いて近づけた所、涙で黙ってしまったのでオーダーも繰り返さずに走って戻り、他のスタッフに「弱点はエビだ」との報告をし、また再度アミダくじを作り、今度は他のスタッフが出来上がったステーキと補充分のパルスィートを持っていくと、また何やらもめている様子。
仮にもお客様です。
僕はこんな事はしたくなかったのですが、調理場から伊勢エビの頭を持っていき、物陰からチラリと見せると収まり、泣きながら後ろの席の赤の他人に「いただきます」と挨拶をして食事をやっと始めてくれました。
食事中も気になるあいつを遠目から眺めていると、ステーキが上手く切れないらしく悪戦苦闘。
テーブルに直に肉を置き、やっと切り終え食べ終えたかと思うと、10分や20分では冷めないはずのステーキ用の鉄皿をジュージュー言わせながらペロペロと舐め、何事もなかったような礼儀で無数の小銭で2540円を払い、出口近くのピングーのぬいぐるみと30分ほど立ち話をした後、「そうかぁ、俺は内側から見ればいいんだね。」と急に結論を出し、ピングーとがっちり握手をし帰っていきました。
あれから1年、いまだにスタッフの中には彼がピングーに何を諭されたのか、話題に上ることがあります。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんがは林原めぐみの6つ下)
[大関]
三重県にある長島(?)スパーランドは、東京ディズニーランドからメルヘンを引いて温泉を組み込んだような所で、数々のジェットコースターと温泉が同時に楽しめるという、「うな重もあります」というサービスエリアのラーメン屋といったような、マルチな遊園地として有名なのですが、去年の夏休み、高校の同級生の山路君と出かけた時のことです。
山路君という人を説明すると、登校時に大きな発泡スチロールを見つけると壁でこすって全部粉にすることに夢中になり、2時間目の終わりに学校に来るような、どこにでもいるウェイトリフティング部の副主将なのですが、困ったことに僕に良くなついていて、しかもババアが連れているシベリアンハスキー並みに飼い主の言う事を聞いてくれません。
この日もフリーパスを買うや否や、嬉しさ余って猛ダッシュで入場。まだまだ余っているらしく、入り口にいるウッドペッカーの着ぐるみに足払いをかけ、笑顔を増幅させつつ挨拶代わりに回転コースターに飛び乗り、降りるや否やウォータースライダー。
焼きそばを買ってフライングカーペットの上で平らげ、焼きそばのゴミを捨てに行くついでにウッドペッカーにカニ挟みをかけるという、何かに取り付かれたようなエンジョイぶり。
ところが色々乗った後、スパーランドで一番怖いジェットコースター『ブルーサイクロン』(木造コースター)に乗った時の事。
一周しただけで平衡感覚がおかしくなっている僕が、隣にいる山路君を見ると、今まで『ご機嫌アルカポネ』といった表情をしていた山路君が、一変して赤木春恵が青春を取り戻したような表情に。
つまり、『ブルーサイクロン』が大変気に入ってるご様子。
セーフティーバーが首から離れて出口に向かう僕の後ろから声がします。
「アンコール!アンコール!アンコール!」振り向くと、困り果てる係員にフリーパスを提示する山路君の姿が。
結局見切り発車で山路君は『ブルーサイクロン』に20回ほど連続で乗り続け、その上すっきりした顔で降りてきて、ウッドペッカーにチキンウィング(?)をかけて遊園地を後にしました。
不思議な事に『ブルーサイクロン』で何でもなかったのに、帰路の三重交通バスに酔い、僕とは違う種類の動物である事を必死にアピールしていました。
(三重県鈴鹿・PN:敷島パン提供 天才クイズ)
[関脇]
僕らの町では小学生になると、田植えや畑の手伝いをさせられる学校行事がありました。
クラスごとにそれぞれの民家に行って手伝いをするのですが、その時に同じクラスメートだったY君は今思えば珍肉でした。
僕らが一生懸命畑を耕している時に、Y君は頭の上から大きな?をひねり出し、トラクターをいじっているうちにお決まりの暴走。今で言う所の『シベリア超特急』しているではありませんか。
すぐにY君は捕まり、罰としてニワトリ小屋の掃除を一人でさせられるハメになりました。
しかし珍肉なY君、ニワトリ小屋の扉を開けっぱなしのまま掃除をしていたため、次々とニワトリは外に逃げ、逃げたニワトリを捕まえるのにてんてこ舞い。
しかし扉を閉めるという事に全く気付かないY君は、ニワトリを追いかけている隙にまた別のニワトリが小屋から逃げ、それを捕まえに行っている間にこれまた別のニワトリが逃げというメビウスバカぶり。
何かがおかしい。
ついにひらめいたらしいY君。
「105匹も捕まえたのに、小屋の中に3匹?」
腕を組み、空を見上げ、しかめっ面で15分。
さすがのプチ脳みそもドアを閉めるという事に気付いたと思って聞き耳を立てていると、大きな声で「わかった!ニワトリは動く。生きているから。」と結論づけ、こりゃ本物には構っていられないと農作業を再開する僕たち。
そこに突然別の方向の畑の方から、ニワトリの鳴き声が聞こえてくるではないですか。
しかも今まで一度も聞いた事がないような声でした。
僕はとても心配になり恐る恐る見に行くと、そこにはなんと畑の一列の列にずらーっとニワトリが生きたまま首まですっぽりと埋められて、点々とニワトリの首が一列に並んでいるその先に、満面笑顔のYが一言。
「800匹、ほんとは30匹でした。」
この日からY君は『ロッキー』と呼ばれています。
(新潟県・PN:十両黒乳首)
[横綱]
あれは中2の夏、クラスの友人一同と山に昆虫採集に行く事になりました。
カブトムシやクワガタは物によっては売ればかなりお金になるという話で盛り上がり、皆で僕の家に集合という昆虫採集の決行日の朝に、奴はやって来てしまいました。
「ねぇ、ぢゅくに行くといくらお金がもらえるの?」が口癖の珍肉、米原(まいばら)君。
彼は力の入れ加減がいつも激辛な少年で、彼には『破壊』という文字がつきまとっていました。
そんな彼がどこから聞きつけたのか、まだ太陽も出切っていない朝に、うちのインターホンをを16連射。
僕の家の中のインターホンから「おでも行く。カブトムシ1匹1000円。うまい棒100本1000円。カブトムシ1匹うまい棒100本。」という彼なりのレート計算が発表されていました。
結局どうしようかと友人一同にテレゴングした結果、8対0で連れて行かないということになり、僕はインターホンを無視して裏口から脱出。
集合場所を学校に変更、いざ昆虫採集にレッツゴーという時になって、来たんすよ、うまい棒ハイエナが。
しかも右手にはバット、左手にはダンボール箱を持って。
そして米原君、僕らを見つけるや否や第一声が「お、おでにもうまい棒、召し上がらして下さい。」という彼の中では一番丁寧に言ったらしい言葉。
もし断ってバットで撲殺されてはたまらないと、渋々連れて行くことになりました。
行く途中、「なぜバットなの?」と聞くと「バットだと、網より早くスイングできるんだ。ダンボールは、カブトムシを1匹でうまい棒100本のお金になるから、ダンボール1杯のカブトムシでうまい棒ダンボール100個になる?」と逆に聞かれてしまいました。
そんなこんなで目的地の山。米原君はカブトムシがいそうな太い木に手当たり次第にバットで連打。
まさに『早回しのジェイソン』といった感じでした。
辺りの木からはカブトムシはもちろんのこと、ありとあらゆる虫が雨あられと落ちてきて大喜びでした。
しかしそんな米原君の頭上に、げんこつ大のアシナガバチの巣が落ちてきたのです。
そのハチの殺気に米原君思わず「そこかぁっ!」という叫び声と共に落ちてくる途中の巣をバットでジャストミート。インパクトの瞬間、ヘッドは回転していました。
しかし、相手はハチ。いくら米原君がバットを振り回していても、アシナガバチは米原君をチクチクと刺します。
「いたいどー、いたいどー。」と走り回る米原君。
結局ふもとの病院まで運んであげたのですが、米原君、見当外れな後遺症で「うまい棒が嫌いになった」と言っていました。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんがは林原めぐみにメロメロ)
[横綱]
いましたよ、和製チャック・ウィルソン。
うちの高校の先生どもはみんな金八を見ていて、体育教師の吉田が「よし、僕らもスポーツチャンバラをするぞ。」などと言い出したため、早速次の日の体育からやらされる事になったんです。
ご存知『スポーツチャンバラ』略してスポチャンは絶対安全なスポーツ。
しかし、キャッチフレーズ『焼き豆腐一丁でベトナムから帰ってきた男』こと、森山君の手にかかれば、そんな安全神話など煮過ぎのはんぺんよろしくあっけなく崩れ去ってしまうのでした。
皆がスポチャンに慣れ始めて1ヶ月ぐらい経った頃、スポチャンの大会を学年ですることになったのです。
それはまさに森山君のオンステージになりました。
森山君、自分の出番が来るまではスポチャンの棒の先をガジガジと噛んでおとなしくしていたものの、自分の番が回ってくると本領発揮。
相手を棒で殴るのではなく、その棒を持つ自分の手で相手を連打。
棒で相手を突くのではなく、完全に相手の腹にボディブローを入れている始末。
そうやって次々と相手を再起不能にしていき、そしてついに決勝戦まで進んだのです。
そこで森山君、相手は柔道部でも腕利きの坂田君ということで、今までの方法ではちょっと勝てないと悟り、「ちょっと手を傷めたから保健室に行ってくる。」と言って姿を消し、数分後戻ってきました。
この時、ボロボロはずだったスポチャンの棒が新品になっていたのを早く見つけるべきでした。
いよいよ決勝のゴングが鳴り、森山君は開口一発、坂田君に渾身の捨て身の面を食らわしたのです。
するとウレタンで出来ているはずのスポチャンの棒はポッキリと折れ、血を吹き出して倒れる坂田君。
その棒は森山君が予め家庭科室の冷蔵庫で凍らせておいた物だったのです。
その上森山君の馬鹿力で面をお見舞いされては、いかに坂田君であろうとひとたまりもありませんでした。
この事件により我が校からスポチャンは姿を消し、数日後森山君も姿を消すこととなりました。
(東京都渋谷区・PN:僕らはずっとTBS改め僕らはもっとTBS)
[大関]
今日紹介する珍肉は、僕がバイトしているファミコンショップの店員仲間の田村正(仮にTとする)で、T君と去年一緒にドラクエ6を売っていた時の話。
ズル店長の命令で1日早く売っていたため、ものすごい数のお客が来ていて、目が回るほどの忙しさに俺もTも振り回されていました。
そんな最中、どさくさに紛れて『ドラクエ6』10個入りの小さいダンボール箱をわしづかみにし、ダッシュするふてえ野郎がいるじゃありませんか。
日頃から、不斉と気持ち悪いビーフンのCMは大嫌いというタイプのTがキレました。お店のエプロンを投げ、出口に向かって一目散。
と思ったら戻ってきてエプロンをたたんで棚に置き、バカ特有の無駄な几帳面さを見せ再びダッシュ。既に5分のロスタイム。
そしてTは店のママチャリにまたがり、30秒もたたないうちに見えなくなってしまいまいした。
そして2時間くらいたち、ドラクエを夢中で売っている俺の耳に、「おーい」という声が聞こえてきました。
表に出るとTが追いかけていた方向から戻ってくる姿が。
しかもT、右手にはドラクエ、左手には盗っ人、後部シートには見知らぬおじさんといういでたち。
Tは盗っ人を警察に突き出し、ドラクエを棚に戻しエプロンをつけて見知らぬおじさんと握手をして見送り、何事もなかったように仕事に戻りました。
Tのおかげで無事バイトは終わったのですが、いまだにあのおじさんは誰だったのか、何故に乗ってきたのかがよくわかりません。
(八王子市・PN:秋葉 原男)
[大関]
僕らの高校の野球部の顧問の青田先生は、生徒から親しみを込めて『青鬼』と呼ばれているような大変いい先生で、男子20人をプールに潜らせ浮かんできた生徒を竹刀で殴って沈める『モグラ叩き』というアイデア授業や、サッカーゴールのネットに気に入らない生徒(主に杉山君)をからませて、スプリンクラーを至近距離で作動させる『スパイダー』という遊びを考え出すあたりが、その人気の秘密でした。
しかしそんな青鬼に一人立ち向かった男がいました。それは、お隣の3組の滝山君でした。
ある日の5時間目、ぼくのいた4組と3組男子合同の体育の時間、青鬼改めまぐれ教員免許は、ホワイトボードに大きく『素朴』と書き、「今から皆で相撲をやるぞ」と叫び、校庭に出ました。
相撲と言うのは名ばかりで、ただボディビルで鍛えに鍛えた日体大バカが何人の高校生をほん投げられるかという特番で、開始10分にして土俵を中心に9時のあたりに下田、6時のあたりに松木、3時過ぎに有倉が横たわっており、そんな中滝山君が土俵入りしました。
余裕をかまして鼻歌を歌っている青鬼に対して軍配が返ったかと思うと、短パンの中から石灰の粉を取り出し、顔に目掛けて発射。
すかさず青鬼を持ち上げるとあっさり土俵の外へ。そのまま徐々にスピードを上げ、50m程離れたアオコで一杯の池に青鬼を投げ捨てました。
あ然とする皆に「おいおい、インタビューは?」と一言。
「今の決まり手は先代の朝潮が25年前にたった1度使った幻の大技『バッファローひねり』であった」だのと言っている所に、『青鬼』改め『アオコで緑鬼、そして怒りで赤鬼』が猛ダッシュでやってきて、「いい度胸してるなぁ、滝。相撲はもうやめだ。今から俺が考えた新しいスポーツ、『大きなノッポの古時計』をやる。」と言い放ち、滝山君を鉄棒の所まで引っ張っていきぶら下げ、「おじいちゃんが死ぬまでぶら下がってろ、足が地面に付いたら体育の単位はやらない」ととどめの一言をぶつけ、体育教官室に帰ってしまいました。そしてそのままチャイム。
僕は違うクラスだったのでホームルームが終わって即帰宅したのですが、テレビをゆっくり見た後夜の7時頃、3日早く売っているジャンプを買いに原チャリで学校の側を通りかかると、まだ滝山君がぶら下がっているではありませんか。
あれから4時間。恐る恐る近づいてみると、手と鉄棒がガムテープでぐるぐる巻きになっており、ガムテにマジックで『負けるな滝山』『頑張れ滝山』『根性』『努力』『大学合格』『好きだマリ子』と書いてあり、滝山君は眠っていました。
「うわぁ、こいつは本物だ」と心の中で僕がつぶやいていると、滝山君が小刻みに震え出したので、恐ろしくなって僕は帰ってしまいました。
翌日学校で臨時の朝礼があり、青田先生がよその学校に行く事になった事を校長が告げていました。
夜、滝山君を発見した警備のおじさんはショックで一月ほど学校に来ませんでした。
滝山君はヒーローです。
(東京都大田区・PN:あのヒゲはマジックじゃない本物だ・王様より)
[横綱]
『つららをなめちゃいけません』こと旭川にも珍肉星人はいます。
『草川君東京へ行く』の主演でおなじみの草川君です。
中学校2年の時僕らは修学旅行で東京に行きました。
草川君は学校の外では、雪を掘っては生のふきのとうを食べ続けるぐらいの安全な人なんですが、学校の中では、まさにちょっと人間寄りのヒグマでした。
そんな草川君が東京の20階建ての某ホテルに泊まった夜のことです。
草川君、20階の窓からの東京の夜景を見て、新しいプロレスの技を思い付いたらしく、ルームメイトの笹本君を捕まえ、『東京の夜』というオリジナルの関節技をかけていました。
しかし、草川君の技が笹本君の足を面白い方向に曲げてみたらしく、『モキッ』という鈍い音と共に笹本君はホテル中に響き渡る悲鳴を上げ、大騒ぎになってしまいました。
泣き喚く笹本君。
それを見てさすがにまずかったと気付いた草川君は、「しーんぼう、しーろよ。おーれに、まかせーろよー。」と伸ばす棒の位置が違う独特の言葉でつぶやくと笹本君をおんぶして、丁度ホテルの向かい側に病院があるのでそこに運ぶように先生が草川君に言うと、どういう訳か草川君はエレベーターの方には行かず、非常階段の方に行きそのまま下りて行ったのです。
全身汗だくになりながらえぐえぐ泣く笹本君を「がまーんしろー。おーとなしーくしてろー。」と盛んになだめながら、ひたすら20階階段を下る草川君。
僕らが手を貸そうとしても、「こーれは、おーれのけーじめだー。じゃまーするなー。」と払いのけてしまいます。
そして数十分後、草川君が階段を下り切った時にはクラス一同みんなで拍手喝采。ぐったりと泣き疲れて震える笹本君は、そのまま草川君におぶられたまま病院の中へと入っていきました。
病院のロビーでハアハアと倒れ込む草川君に、労をねぎらい「よくやったな、よく頑張ったな」と声をかける先生。
しかし僕は1つの疑問を草川君に問い掛けました。
「なんで草川君、エレベーターを使わなかったの?」
すると草川君、驚きの顔で一言。
「えっ、エレベーターって下りもあるの?」
これには一同どう答えていいのやら困惑の表情。
その後草川君と笹本君はこの『東京の夜』という技を境にとても強い友情で結ばれ、大親友になってしまいました。
めでたしめでたし。
(北海道旭川・PN:どさん子ラーメン)
[大関]
僕らが小6だった時の事、うちの近所には金八先生のオープニングで金八が闊歩してる風の土手があり、いつも学校帰りに友達数人でダンボールを使って土手滑りを楽しんでいました。
そんなある日、僕らが土手滑りライフをエンジョイしていると、通りかかったのが牧田さんでした。
うちの母は、『いい年してプラプラしてしょうがない親父』と牧田さんを呼んでいましたが、牧田さん自身は『街の平和を守るためにパトロールをしている』と、子供を集めてよく演説をしており、低学年の子供たちからは『少佐』、高学年の子供たちからは『ゆらゆら星人』と親しまれている人でした。
さて牧田さん、不気味な笑顔で僕らに近づいてくると、手をパンパンと打ち鳴らし、「ハイハイハーイ、注目注目。だーめーだーねー、なってないねー。ほら、ひざ開いちゃってるでしょ?姿勢も悪い。どこで習ったんだか。そんなじゃね、プロにはなれないよー。」と、インストラクター気取り。
「土手滑りのプロとは?」と、つむじから大きなはてなをひり出している僕らからダンボールを無理矢理取ると、「スリー、トゥー、いち、ゼロ!牧田号、発進!」さすがプロの土手スベラー、僕らの倍近いスピードで急斜面を滑り降りると、そのまま散歩中の親父の背中にドスンと命中。
ハラハラして見ている僕らをよそに、一言も謝りもせず、場内アナウンス風に「競技コートに入らないで下さい、競技コートに入らないで下さい。」と言いながらダンボール片手に駆け足で坂を登ってきて、また発進。
加速。命中。アナウンス。登坂。発射。加速。命中。アナウンス、の繰り返し。
その姿は自動追尾式のミサイルのようで、避けても避けても親父の背中の中央に命中する兵器に、散歩中の親父も姿を消した頃、牧田さんはボロボロになったダンボールを僕たちに返してくれ、「君たち、素晴らしい物を見せてあげよう」と一言。
小走りに草むらに消えたかと思うと、持ってきたのは古い自動車のボンネット。
裏返しにして土手にセット。そしてさっそうと乗車すると、カウントダウンを開始した。
「ファイブ、フォー、さん、トゥー、いち、ゼロ!」
さすがプロ用のそりはものすごいスピードで土手を下りきり、2段目に突入。3段目にさしかかり大ジャンプ。牧田さんは草むらを越え、夕日の中に溶けて行きました。
すぐ下の川に何か大きな物が落ちる音は聞こえたのですが、それを認めると僕らは助けに行かなければいけないので、口々に「いやー、牧田さんは今日宇宙にパトロールに出かけた」と話し合いながら、急ぎ足で家に帰りました。
あれから5年、宇宙に行ったはずの牧田さんとはよくすれ違いますが、僕らは牧田さんを心の中で 『少佐』とも『ゆらゆら星人』とも別の、『神様』というあだ名で呼んでいます。
(栃木県・PN:M.C.コミヤ復活希望)
[横綱]
僕らの高校のバスケットボール部にいた、高2で身長1m90、体重85kg、美術の事を『図工』、数学の事を『数のけいこ』と呼ぶ男、鳥羽君は、味方が完璧なマンツーマンディフェンスにあいパスを通す道がなくなると、一番近くにいるディフェンスに思いっきりボールをぶつけて、リバウンドを拾って突き進むという戦法を得意としており、その発展系として、いつもゴールの側でボーッとしている味方の小林君にボールをぶつけて、リバウンドを拾ってシュートする『三角小林』や、ランニングシュートが外れそうな小林君に体当たりして、小林ごとボールの軌道を変える『空中小林ひねり』などを繰り出すことから、敵チームからも小林君からも恐れられている男でした。
ある日の練習試合の時でした。
この日は敵のチームが強いことと、小林の跳ね返り具合が少し悪いことで、苦戦を強いられていたうちのチームは、終了まであと1分という所で相手チームに3点シュートを決められ、48−49で負けていました。
既に鳥羽君はキレており、エンドラインからスローインを投げ入れる時の顔は、手を蚊に刺されたスタローンがかゆくてもかゆくてもかけず、机の角でかゆさを紛らわしているような顔をしていました。
渾身の力で投げたボールは一直線に小林にヒット。
そしてリバウンドはこの試合中に1度もなかったいい角度で鳥羽君に戻り、鳥羽君嵐のドリブル。そして小林君にパス。
あうんの呼吸とはこのことで、小林君は側頭部でリバウンドを返し、鳥羽君にダイレクトでボールが返りました。
崩れ落ちる小林君。ジャンプする鳥羽君。一世一代のダンクシュートが決まるはずでした。
しかし、鳥羽君には計算違いが2つあったのです。
1つは、爆発したアドレナリンでジャンプ力が日頃の20%アップになっていたこと。
そしてもう1つは、ジャンプをした地点が小林君の背中の上で、地面よりも30センチほど高かったこと。高く飛びすぎた鳥羽君はネットの横をかすめて、ゴールの板に顔から突っ込み、2、3秒してからゆっくり落ちてきました。
試合は負け、小林君は天文部の頭の尖った上倉君と強制トレードされ、そしてゴールの板には鼻血で鳥羽君の顔がスタンプされ、それ以来バスケ部の集合写真は必ず、幽霊騒ぎになります。
(東村山・PN:初投稿・ザリガニ釣るぞう)
[大関]
こないだ伊集院さんが野球部の合宿の話をしていたのを聞いて思い出しましたが、僕が所属していた野球部にも柏原君という、プッチンプリンのバックダンサー風の男がおりました。
うちの部は過去に甲子園にも何度か出たことがある学校だけに大変厳しく、入学4月のスタート時には100人近くいた新入部員が、3ヶ月で50人足らずに減り、夏休みの恐怖の合宿で12、3人になってしまうというほどで、その急激な減り方はまるでおニャン子クラブの芸能人の如くです。もはや生稲もいません。そういうような状況です。
そんな新入部員の1人だった柏原君、野球の実力はずば抜けていて、特にバッティングは全部員の中でもトップクラスのものを持っており、時々練習ボールをたくさん並べて、「このボールはボールの国から弟ボールを探しに来たお兄ちゃんボールだから、打つの禁止。」とかいう事を言う以外は、期待の新入部員でした。
その年の合宿も大変厳しいもので、9泊10日の1日目の午前中にして、千本ノックのきつさに2人が脱落、うさぎ跳びで3人脱落、お兄ちゃんボールを打ったことで1人退部。
そんな嵐の予感の昼下がりに、事件は起きました。
午後の最初のメニューは軽いランニング、のはずでした。部員全員が整列して、さあ走り出そうとした時、柏原君が急に提案をしました。
「イチニ、イチニの掛け声じゃつまらないから、皆で歌を歌いながら走ろうよ。」
ここで柏原君の機嫌をもし損ねたら、いつ何時「おーい、今お前が打ったボールを良く見てみろー、泣いてるじゃないか!何でだかわかるかー!お兄ちゃんボールだからだ!」などと怒られるからたまったもんではありません。
こうして仕方なく、僕らのランニング歌合戦が始まったのです。
「おーブレネリあなーたのおうちはどこー」と2年生が歌うと、1年生が「わたーしのおうーちはスイスランドよー」。
真夏のグラウンドにこだまする、男子ばかり70人の歌声。1曲終わるごとに次の部員が歌いだし、それが終わると次。
しかも流行歌など柏原君の知らない歌をチョイスすると怒るので、童謡ばっかり70曲。
いよいよ69曲目の「いっぽんでもにんじん」が終わった時には、軽いランニングどころか3時間走りっぱなし。部員全員疲れ果てていました。
その地獄もあとは柏原君の1曲を残すだけとなって、多少皆の顔にもやる気が戻ってきたその時、柏原君は歌い出しました。
「アーイスクリーム好っきですかぁ〜?」
聴いたこともない歌に皆がきょとんとしていると、柏原君急に立ち止まり、「どうしたの、みんな続きは?」。
もはや99%死んでいるキャプテンの加倉井さんが、「いやー、あのねえ柏原。この歌、何ていう歌?」と聞き返すと柏原君、「今僕が作る歌。」との答え。
そして言うや否やランニングを再開し、「アーイスクリーム好っきですかぁ〜?」。
仕方なくキャプテンが「はいはいとっても好っきですよ〜」とついて行くと、どうもそれで合っているらしく、「どうしてそんなに好っきなのよ〜」とご機嫌な歌声。
「とっても冷たいから〜」「そーれだけーじゃないでしょね〜」「あとあとちょっぴり甘いしね〜」と、そこから先は延々と「どーんな味が好きなのよ〜」「スートロベリーが大好きよ〜」だの、「当たりが出たらもう1本〜」だのと意味のない歌詞が2時間。
既にほとんどの部員が倒れてしまい、その屍を踏まないように1人きりの生存者が「溶っけないように冷蔵庫〜」という地獄絵図の中、ついに「ぼーくはアイスが好ーきーなーのーよ〜」と歌い上げる柏原君。
その時なぜか、皆は泣いていました。
僕もキャプテンと抱き合って泣いていました。
みんなみんな、涙が止まりませんでした。
…柏原君が、「2ばーん!」と言うまでは。
P.S. その後合宿のスケジュールは変更され、2日目から7日目までは休み、練習再開後の8日、9日、10日目もみんな、マネージャーが買ってくるアイスクリームを見ただけで戻していました。
(鳩ヶ谷・PN:大野ガンバレ)
[横綱]
さて珍肉ですが、うちの近所によく来る明らかに江戸っ子と分かるラーメン屋台の親父についてちょっと聞いて下さい。
この親父、ラーメンの注文の仕方が少しでも気に入らないと、すぐに「帰れ!」と叫び、それでも帰らないとさらに塩をまくならまだしも、どっからかっぱらってきたのかタバコ屋や米屋の軒先に掲げてある、紺に「塩」と書かれた看板で殴ってきます。
出すラーメンも500円の江戸っ子ラーメンのみで、500円玉で支払おうとしても「おいおい、そんなオモチャで俺をごまかそうなんて2ヶ月はえーよ。」などと言って500円札ではないと受け取ってくれません。
釣りが出ても怒るので、みんな仕方なく100円玉5つで払っています。
そんな親父の屋台である夜、事件が起こりました。
いつも通り客の席を指名して座らせる親父。初めて顔を見せる客でしたが、無口な所を親父が気にいったらしく、お客は何事もなくラーメンを食べ終わりました。
しかし、その客はラーメンの汁を飲み終えると共にクラウチングスタート。そう、食い逃げだったのです。
すると親父の目は一転、仕事人の目に変わり、そして犯人がもうずいぶん先まで逃げているにもかかわらず、まだラーメンを食べている僕たち他の客にお構い無しに、屋台を引きながら追っかけ出したのです。
その速いこと速いこと。ドーピングしているのではないかというようなスピード。
ガラガラと落ちるおたまや、ラーメンの容器。
路上に棒立ちで、ラーメンを持ったまま立ちすくむ僕ら。
必死で逃げる食い逃げ男。
闇夜に赤い提灯の残像をにじませ、走る屋台。
下り坂に差し掛かる屋台。
加速する屋台。
一瞬宙に浮く屋台。
結局、男は屋台でひき潰され、警察に突き出されていました。
最近、親父の吹くチャルメラが聞こえて勉強部屋から顔を出すと、屋台が見当たらないことがあるんですが、僕は「とうとうあの親父、音速を超えたなぁ」と判断しています。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんが)
[横綱]
あれは1年半くらい前だったでしょうか。運送会社でアルバイトをしていた時の事です。
一緒に働いていた、正社員の岩名さん(18歳・男)は、その珍肉ぶりを生かして20kg入りのケースを5個まとめて運ぶ仕事っぷりが有名でした。
ある暑い夏の日、冷凍倉庫の搬入作業が入りました。『熊男』こと岩名さん、涼しいのがよほど嬉しかったらしく、日本直販よろしくいつもは5個のケースを8個に増量してガンガン仕事をしていました。
ところが、作業を終え倉庫にカギをかけて一服していた時、岩名さんの姿が見えないのに気付きました。
さては、夢見のしずくをかけ忘れたなーと思って探しに行こうとした時、倉庫の方から大音響が鳴り響きました。
急いで音のした方に行くと、全身につららを下げた北極のプレスリーこと熊男が。
「どうしたんですか?」と問うと、「ひどいなー。冷凍倉庫寒いんだぞ」との答え。「でも、あの倉庫、外からしか開きませんよ。どうやって出てきたんですか?」の問いに、「うん、マグロがちょうどいい具合にあったから。」との返事。
見ると、倉庫の扉は、業務用の特大のノブが吹き飛ばされていました。
この一件で岩名さんはクビになり、修理された扉にはインターホンが取り付けられていました。その会社では、今も多摩テックの宙づり事件に匹敵する事故として、語り継がれているようです。
(川崎市麻生区・PN:名もなきリスナー)
[横綱]
あれは思い出したくもない忌々しい中2の初夏の話です。
鈴鹿サーキットの隣に青少年の森という巨大野外キャンプ施設があるのですが、うちの中学では、2年生の6月に強制的にここで5日間、全生徒合宿をさせられます。
この合宿、代々先輩から「仮病を使ってでも、クーデターを起こしてでも行くな」と言われている、血塗られた悪魔の合宿なのです。
なぜなら、合宿のメニューはほとんどが体育で、しかも内容は朝5時のラジオ体操と、8時のストレッチ体操以外は全てグリーンベレー並みのメニュー。その上3食は全て自炊。畑や飯ごう炊飯で賄わなければなりません。
宿泊施設といえば、『テレビもねぇ、ラジオもねぇ、有刺鉄線はある』。どう見たって牢獄としか思えない所に5日間みっちり鍛えられるという、『軍』としか呼びようのない合宿なのです。こんな生き地獄の中でもやはり珍肉は珍肉でした。
その珍肉、野地君の5日間のこなしっぷりをついに告白します。初日のノルマの1つこと、跳び箱。筋肉番付で言う所の「モンスターボックス」をやらされていた時、野地君は8段の跳び箱2つをうまく組み合わせ、16段にチャレンジ。見事タックルをかまして下敷きになっても、平気な顔で立ち上がって黙々と片していました。
そしてその夜、雑談などを決して許されず、ドラえもんがやっているくらいの時間に電気も消され、へとへとに疲れ果てていた僕らは、さっさと寝るしか為すすべがありませんでした。
そこで僕が2段ベッドの上で寝ようとしていると、ベッドの下から恋する安部譲二のようなうなり声が聞こえてきました。よく聞いてみると、2段ベッドの僕の下で寝ているはずの野地君が発する「ガームくーいてーぇ。ガームくーいてーぇ。」の声。
そして、その声のスピードがだんだんアップして来たかと思うと野地君、おもむろに飛び起き、窓から下の芝生へストン。僕はテレビでスタントマンがやっているのしか見た事のないような光景に唖然としている中、野地君は闇へと消えていきました。
そのすぐ後、僕は深い眠りについてしまったのですが、2日目の朝、4時半(歌うヘッドライト中盤)に起こされた時には、全ベッドの枕元に1個ずつガムが置いてありました。
この収容所に来た時に、徹底された持ち物検査により、お菓子、トランプ、マンガ類は全て完璧に取り上げられたはず。野地君が密輸してくれたとしか思えませんが、10mの塀に囲まれたこの要塞から、どうやって外に出たのか不思議でたまりませんでした。
そして2日目の夜、野地君は「ファンタ飲みてぇー。ファンタ飲みてぇー。」とのうなり声と共に窓から飛び出し、次の朝にはまたもや各枕元に紙コップに入った気の抜けたファンタがありました。
そんな3日目の夜でした。今夜も僕の下で「するめ食いてぇ。するめ食いてぇ。」と唸って、窓から飛び降り、闇に野地君が消えていこうとしたその時です。
どこかの窓から静寂を打ち破る、「エマージェンシー、エマージェンシー。野地発見、野地発見。教員全員、エリア2に急行。」という放送。
すると真っ暗だった外の明かりが一斉につき、野地君を照らし出したのです。大量に野地君を追いかける先生達。僕の頭の中では、ルパン三世のテーマが流れていました。
抵抗空しく捕らえられた野地君は、5日目を過ぎても青少年の森を出してもらえず、その後学校にも来ませんでした。
3年たった今でも、彼はひょっとした青少年の森で未だに捕らえられているのかもしれませんが、僕はもう2度とあの悪魔の森に近づく気にはなりません。
(三重県鈴鹿・PN:がんばれこぶ平天才クイズ)
[横綱]
本日紹介する珍肉君は、僕の小学生時代にいた最強の珍肉ダブルス、島田君と林くんです。
この2人、普段1人でいる時は並みの珍肉ですむのですが、2人が集まるともう大変。ろくなことが起きないことで有名です。
このベイブ並みに息の合ったバカダブルス。どんな珍肉を起こしてきたかというと、学校の大掃除の草むしりの時、草をたくさん抜けば早く終われるという事で、2人掛かりで山のように草をむしってきたので、先生が誉めながら「どこから取ってきたんだい?」と聞くと、2人は声を合わせて一言、「しばふー。」先生が慌てて見に行くと、百葉箱の周りは深刻な環境破壊になっていました。
続いてもう1つの我がクラスの担当部署、図書室での出来事。2人は最初は本でドミノをしていたり、本を無駄に積み上げていたりしたのですが、そのうちに窓から本を投げてどっちがよりUFOっぽく飛ぶかというのを競って、下を歩いていた校長先生のハゲ頭に切れ目を入れてしまったりして怒られていました。
そして最後に極めつけ。給食の時間の話。2人は給食委員を驚かそうと給食の鍋が保管してある部屋に先回りしたのです。
そして給食委員がその部屋に入ると、なんとうちのクラスのご飯とシチューが入っている大鍋の中から「ワーッ!」という大声とともに2人が飛び出してくるではありませんか。
そのご飯まみれとシチューまみれの怪人に、びっくりした給食委員はもちろん漏らしていました。
結局その日の給食はパンになりましたが、例の2人組はパンさえもらえず、黙々とこぼれたご飯とシチューを片づけさせられていました。
この2人、先日同窓会で会ったらまだ生きていましたが、林君はあの時のシチューの火傷の跡がまだ残っていました。
本人曰く、「若い頃、無茶をした思い出さ…。」とニヒルな笑いを作っていました。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんが)
[大関]
今日は我が社の珍肉OL、みづえさんについてのお話です。このみづえさん、あだ名を『プリマ』というのですが、本人はプリマ・ドンナのつもりで喜んでいますが、名付け親の僕らはやはりプリマハムから名づけたというのは、彼女だけが知らない秘密です。
そんなプリマ、みづえさんと回転寿司屋に行った時の話です。
みづえさん、席につくや否や回転寿司屋ならではのバカ熱いお茶を入れるや否や、一気に飲み干し、ネタをパクついていたのですが、みづえさんの目の前を中トロが通り過ぎていったのに気付くと、「あっ、いけない」と回転寿司のベルトコンベアに手をかけ、「ガリガリガリガリー」という鈍い音と共に、強引に寿司の回転を逆に回し、中トロを食べていました。
次の日からその寿司屋では、『寿司の回転を逆さに回さないで下さい』という張り紙が貼ってありました。
(山口県・PN:忍者じゃじゃ丸くん(実は伊集院より年上))
[大関]
あけましておめでとうございます。去年はコンビニ強盗のピストルを、スニッカーズで打ち落とした等の作り話で嘘を付いてごめんなさい。今年からは心を入れ替えて本当のことです。
正月といえばヤツを思い出すというくらいインパクトのあった珍肉、S君をを紹介します。彼はいつも頭がお正月なので、本当の正月がきても気付かないようなタイプの寿頭脳なんですが、町内会の餅つき大会に行った時、彼の珍肉っぷりを元旦早々から見せてもらいました。
彼はおにぎりを作ろうとすると、自然にお餅が出来るくらいの珍肉パワーの持ち主。
餅つきの準備中、羽根つきをやっていた時の事です。彼のパワーでは普通の羽子板ではすぐに割れ目が入ってしまい、せっかくの京美人が阿修羅男爵になるので、なんと近くにあったシーソーの板をはずし、羽子板代わりに使い始めたのです。
僕はきっとただでは済まないだろうなと思っていた所、やっぱりそうでした。
彼のバカ力で操るシーソー板は、ヘリコプターのプロペラよろしく軽く振り回され、餅つきの準備をしていた町内会長にヒットし、会長は隣の家のカミナリ親父の家の2階の窓の中へと消えていってしまいました。
野球のボールなら謝って返してもらいに行くのですが、さすがに町内会長は誰も取り戻しに行く勇気はなく、結局餅つき大会は町内会長不在のまま行われ、S君は杵で臼を真っ二つにしてしまいお開きになったのですが、町内会長は行方不明のままです。
伊集院さん、今度こそ本当です。嘘だと思ったら隣のカミナリ親父の家まで連絡を取って下さい。きっとまだカミナリ親父の家の2階には町内会長が引っかかってるはずです。信じて下さい。
(東京都町田・PN:社長といえばあのジジイ)
[お前はチャンコでも作ってろ!!]
僕の中学校からの腐れ縁仲間に、相撲で大学に入って糖尿で大学を出た男こと、山崎君こと、筋肉山関がいるのですが、昨年の暮れの、正確には読まれる頃には一昨年の暮れの忘れもしない12月の29日、腐れ縁'S三人で"ドキッ!男だらけの忘年会"をした帰りのことです。
既に関取は近所の居酒屋"初恋屋"のイスを片手に持って、タクト代わりに振り回しながら第9を歌って歩いているという、ほろ酔い加減ではあったものの、高校時代のように交番の赤い玉が無性に欲しくなり、即実行するような子供ではなくなっているので、少し泳がしていると、突然山崎君の中で行事の軍配が返りました。
なんでも、まだ12月の29日なのにも関わらず、前方の市役所の前にある2mの門松が気に掛かったらしく、たまたま横においてあった"初恋屋"のイスに腰掛けて山崎君は長考に入りました。
自分達もかなり酔っ払っていたので、相手にもせず少し歩いた後、後ろの方から地の底から響くような第9が聞こえてきました。驚いて振り向いてみると、暗闇の中に真っ赤な顔をして両肩に2mの門松を1つずつかついだ山崎君がのしのしと歩いている姿がありました。
酔っ払いとは怖いもので、それが普通のガンキャノンに見えた僕たちは、大声でガンダムの終わりの歌を歌いながらガンキャノンをほっぽって帰ってしまったのです。
翌日の昼、ガンガンする頭でバイト先のコンビニに向かう途中、みどり町公園に人だかりが出来ているのでふと覗いてみると、ジャングルジムの上に門松が2つ仲良く並んで立っていました。みどり公園から市役所までは500m強。この事件は、市内報にも"悪質ないたずら、犯人は小型クレーン車の免許を持つ者?"と書かれていました。
P.S.なんで僕がこの事件を急に思い出したかというと、3日前市役所に用事があって出かけた時、ふと市役所の駐車場にある杉の木を見上げたら、杉の木の高さ10m位の所にひっそりと、雨風にさらされてボロボロになった"初恋屋"のイスが引っ掛かっていたからです。
(鳩ヶ谷・PN:大野ガンバレ)
[大関]
今回はうちの大学のやっかい者No.1、空手部の中沢君を紹介します。彼はとにかく汗臭いというよりは汁臭い人で、強くなりさえすればモテると、モテる事を目標に体を必死に鍛えているものの、ルックスは確実にその逆ベクトルへ逆ベクトルへと進んでいる人なんです。
ある日僕が友達と街へナンパに出かける打ち合わせをしていると、不幸にも中沢君がやって来てしまい、「俺もさ、佐竹みたいに強くなったからさ、ブイブイ言わさせてくれよ、ブイブイブインて言わさせてくれよ、ブイブイーンと」などと意味不明の言葉を発し、結局ナンパに付いて来ることになってしまいました。
中沢君というキングボンビーが10個のサイコロで全て6を出し続けながらも、何とかこちらと同じ3人グループの女子大生をゲルゲットしたのですが、カラオケBOXに向かう道の段階で中沢君は余りの嬉しさにはしゃぎだし、「いい所を見せよう。」孔雀で言う所の奇麗な羽を見せよう、つまり中沢君で言う所のバカ強い所を見せようと僕に技をかけ出し、俺こんなに強いんだぜとアピール。
そしてさらに強い所を見せようとカラオケBOXに行く道の途中で郵便ポストを与作よろしく根元からもっきり折ってみたり、返す刀で薬屋のサトちゃんに足払いをかけ、「隙だらけだぞ、だいだいエレファント」と見栄を切ったりの大活躍。カラオケBOXに着いた時は女の子、俺、女の子、友達、女の子、そして25m離れて格闘家という集合が出来上がっていました。
ところがカラオケBOXに入ってしまうと、その中でのヒーローはやはり歌も上手くそこそこルックスもいい友達のH。中沢君のいい所を見せる隙がありません。しかも歌える歌はオヨネーズの"麦畑"1曲という中沢君。5回目の一人"麦畑"も2コーラス目にさしかかると、さすがのアドレナリンバカも自分が色あせてきたことに気付いたのか、狭いBOX内で今自分に出来ることをリサーチし出しました。
僕ら5人が中沢君に目もくれず、次の曲選びに熱中していると、突然中沢君の歌声に面白いエコーが掛かり出しました。何事かと思い目をやると、中沢君は業務用のDAMを中腰で持ち上げて、「オラと一緒に暮らすのは〜おヨネおめえだぼぼえぼえぼえぼえん」と歌い踊っていました。
当然女の子チームは帰ってしまいナンパは台無しになったたのですが、あれ以来中沢君は僕らに会う度に「おい、ちょっとカラオケ屋にDAMを持ち上げに行こう」としつこいです。
(東京都田無・PN:それでいいのか)
[小結]
今から6年前、都立A高校に彗星の如くデビューした大型新人、榑松(くれまつ)君(仮)の数ある伝説より、「ナイスプレーだ榑松君の巻」をお届けします。
新入部員にして、桑田のストレート並みの体重137キロを誇った榑松君。
守備、走塁の練習は自らキャンセルし、皆が走ってる間中、土手のグラウンド端にある簡易便所に閉じこもり、バッティング練習になるといつの間にやらやって来て、ウンコ臭を撒き散らしながら大きな当たりを連発することから、「A高校のドカ大便」のニックネームでチームメートから親しまれていました。
そんなある日、OBの田村先輩が2年ぶりにグラウンドに現われました。
田村先輩といえば2年前、地元の運送会社を自由契約になった腹いせに来日し、「マシンガンノック」とやらで35人いた部員を6人までに減らし、練習帰りにその日部活を休んでいた僕の家に来て一言、「来週の日曜日、もし俺が来た時サボってたら、お前の家、燃やすからな。」と、バッティングに関するワンポイントアドバイスを下さった人物で、その金曜日に酔った勢いで居酒屋の親父を25打数19安打、ホームラン5本のメッタ打ちにして、お巡りさんにヒーローインタビューを受け、キャンプインしたおかげで丸々2年間来なかったという逸話を持つ、伝説のA高校のトレーニングコーチです。
僕ら彼を知る3年生の「お久しぶりです」の挨拶に、笑顔で「おお、俺よぉ、台湾プロ野球行ってたからよぉ」と見え見えの嘘をつく田村先輩。
ノックバットを片手に持ち、「マシンガンノック2!」と地獄の雄たけび。
皆が震え上がっている所に、簡易便所の中から榑松君が登場。
何も知らないドカウンコ。ヤンマガをスピリッツに持ち替えて、自分のポジションである所の簡易便所に戻ろうとすると、田村先輩にファーストミットを投げつけられ、目を真ん丸にしている所にノックの嵐が降り注ぎました。
しかもその下手さ加減は産まれたてのフンボルトペンギンのようで、田村先輩のはらわたをフォンドボーよろしくグツグツと煮たさせてしまい、とうとう素敵なアドバイスが。
「次の打球取れなかったら、お前ん家燃やすからな。」
意識もうろうとする榑松君の頭の中に、ピカーッと光る記憶がありました。
それは小学校3年の冬、榑松君の自宅が全焼し、クラスメートから古着と「チャーシュー」というニックネームをもらったセピア色のメモリーでした。
力が入りすぎた先輩の打球は大きく右に切れるファウルフライ。
しかし榑松君の頭の中は、「もうクラスメートから古着をもらうのはいやだー!」で一杯。
そして信じられないスピードで突き進む肉弾は、帰巣本能からか簡易トイレへ大激突。
ぶっくら返る簡易トイレ。流れ出す3年分のクソ。泣くデブチン。グローブの中に白球。
田村先輩はそのプレーにいたく感動し、「榑松を3年間レギュラーからはずしたら部室を燃やす」と言い残し、本人曰く、「俺は台湾プロ野球に帰るから」と言って去っていきました。
次回、「榑松君の恋の巻」に乞うご期待。
(練馬区・PN:プロ野球選手になりたかった男・犬ボーン)
[横綱]
今回は我がS高校の冬の風物詩、サーキットマラソンでの新(あたらし)君(仮名)の超筋肉ぶりを書きます。
彼はとにかく、やっかいなお父さんから「負けるということは、犬死だ」という教育を2歳から受けたためか、とにかく勝つために手段を選ばないという乱暴な珍肉だったのです。
そのバイキングのような少年が、今年ついにサーキットマラソンに参加することになったのです。
1年生の僕たちは地元鈴鹿サーキットを小回りで1週、大回りで1週の計8.6キロを走るのですが、新君の実力ではかろうじてベスト10圏内。
しかし親からは「1位以外は犬死」と言われてきたため、その珍肉絵巻物はスタートしたのです。
まずスタートの時、前列に並ぶ優勝候補達に向け、スタートの轟音と共に、脇にたまたま置いてあった林君をぶつけて威嚇。ひるんだ隙に一気にスタートダッシュを決め、トップ奪ったのです。
しかし新君、彼はまだCTスキャナーで見ると、どうしても子犬にしか見えない脳の持ち主なためにペース配分というものを知らず、最初の1週でバテてしまったのです。
次々とランナーに抜かれていく新君の目には、悔し涙が。
と、2週目の大回りコースに差し掛かった時です。ここで新君は天国への蜘蛛の糸を見つけたのです。
そう、ここは鈴鹿サーキット。F1マニアはご存知の通り、8の字立体交差になっているんです。
新君はさっき鳴いたカラスがもう笑ろた状態で、満面の笑みで立体交差のコンクリートの斜面をロッククライミングし始めたのです。
指先から血を流しながらも、信じられない力で立体交差を登り切った新君は、残りの距離を楽々と走り、涙を流しながらのゴールインをしたのです。
ゴール地点で待ち構えていた勘違い体育教師の中井先生は、問題生徒の激走にこれまた涙で応え、がっしりと男と男の熱い抱きしめ合いをして、辺りは感動の渦に巻き込まれました。
しかし、先頭誘導の車に乗った先生よりも遥かに速いということがバレ、その後彼が鈴鹿サーキットに姿を現わすことはありませんでしたが、あの中井先生との熱い抱擁シーンはずっとずっと忘れません。
(三重県鈴鹿市・PN:いつも有線で聴いています・天才クイズ)
[大関]
伊集院さんこんばんは。
さて、僕がいつも買い物に行くコンビニの店員は珍肉なので書きます。
その店員、仮にYとしておきます。
このY、万引きしようとする客に対しまず目で殺し、それでもダメならレジの近くに置いてあるスニッカーズを仕事人よろしくピュッと投げ、相手のおでこに命中させ、血をにじまさせます。
そして彼が最も嫌う1時間以上の立ち読みに対しては、これまたレジに置いてある肉まんあんまんが保温してある機械を思い切り揺らしたり、グルグルと回してみたりして怒りの意思表示をするという、やっかいな行動をとります。
そんなYがレジをやっている時に、コンビニ強盗が入りました。
この強盗、やはり入った店、入った時間が悪かった。犯人がYに銃らしきものを向けると、Yはスニッカーズでそれを撃ち落とし、固定してあるはずのレジを犯人に思いっきり投げつけぶつけ、とどめにコピー機の蓋を力づくではがして犯人を殴打。
見事に勝利したのです。
しかし彼は、レジとコピー機を壊してしまった代金を払えず、コンビニのバイトをやめ、今ではペットショップでバイトをしていますが、その店の動物がとても心配です。
(東京都町田・PN:社長と言えばあのジジイ)
[お前はチャンコでも作ってろ!!] → [関脇]
体育祭の花といえばチアガールに女子の創作ダンスというのが高校生活というもの。しかし、僕が通っていたのは男子校で、賭けレースと騎馬戦というのが常識でした。
そしてこの花が血に染まったのが2年生の体育祭でした。
いつものように背の順に並んだ男子を、前から4人ずつ組みにして騎馬を作っていったのですが、時に偶然というのは恐ろしいもので、当時「熊原人」のニックネームを持っていた青井君、「ジェイソン」のニックネームを持っていた垣内君、「殺人犯」のニックネームを持っていた高木君の3人に、「水木しげるの描くサラリーマン」のニックネームを持つ木村君が乗るという、脅威の核兵器が出来上がってしまいました。
この空母エンタープライズの破壊力はすさまじく、運動会前日までの3回の練習で、壊した騎馬19騎、壊した木村君の眼鏡2個、流した血猫除けボトル1本と、まずまずの成績。
白対赤どころか、全校生徒対暴走特急1騎の組み合わせでも勝つのではないかとすら噂されるほどでした。
ところが予行演習の時、命知らずの敵チームの猛突進にプチンと切れた熊原人が、ちょうど近くにあった手ごろな大きさの木村君を投げ飛ばしてぶつけてしまい、木村君が入院。
しかも放課後、ジェイソン君がボンドの匂いをかいで回転ジャングルジムに乗る「宇宙」という遊びを警官に見つかり停学というアクシデントに見舞われ、当日運動場に降り立ったのは90キロの殺人犯を100キログラムの熊原人がおんぶするという、翼をもがれた重爆撃機の姿でした。
しかし、「腐っても鯛」、「角が1本もげてもサイ」、「斧を忘れてきてもミノタウロス」のことわざよろしく、この合体ロボの強いのなんの。
相手の帽子を取るかまたは相手の馬が潰れれば勝ちの前者のルールを無視。ピンボールの玉よろしく手当たり次第に体当たり。
そのうち熊原人君の頭の中で、小さな鼓笛隊がコンバットマーチを演奏し始めたのを合図に、味方の馬も一網打尽。
入場門を倒し、試合終了の合図があった時には、砂煙の中大勢の屍の中央で風陣雷陣が立ちはだかっているという地獄絵図でした。
結局我が校の体育祭から騎馬戦は永遠に姿を消し、それ以降この3人が一緒に集うことは、公園で「宇宙」そして「ビッグバン」という新しい遊びの時だけになったとさ。
(PN:6年間連続男子校)
[大関]
僕の友達に持田君という、もじもじした四角いデブがいるんですが、こないだ彼に「秋葉原にテレビを買いに行くから付き合ってー。」と誘われて一緒に行った時のこと。
僕がビデオデッキ売場でジョグシャトルをひねりながら「スターどっきり(秘)報告遊び」をしていると、持田君と店員の口論が聞こえてくるじゃありませんか。
注意して聞いてみると、34型のテレビを前にして「そりゃあ無理ですよ」「お願いっすよ」「いや、無理ですって」「お願いっすよ」。
僕はきっと持田君が強引にまけてくれと頼んでいるのかと思ったら、今日帰ってすぐデカい画面で「ガンバの冒険」を見たいから、持ち帰り用に包んでくれと主張する持田君。34型といえば少なく見積もっても60キロ近くある代物。
結局店員さんが折れて、というより「どうなっても知りませんよ」と捨てぜりふを吐き、持田君は34型のテレビを背負い込み、笑顔でおばあさんを捨てに行く平城山武士公(ならやまぶしこう)のような格好で、お店を後にしました。
秋葉原の階段を歌を歌いながら上る持田。「ガンバ、ガンバ、ガンバと仲間たち〜。」後ろから見ていると、まるで四角いバボちゃんが階段を上って行くかのようでした。
さすがの持田君も疲れたようで、それを象徴するかのようにガンバの歌はいつの間にやらガンバの終わりの歌に変わっていたものの、どうやら家までたどり着くことが出来、ほっと一息つこうかという時、持田が気が付いたことは、持田の団地のドアからその巨大なテレビは入らないということでした。
とりあえず、家の中から電源を引き、ドアの外でガンバを見ている持田君の背中を見て、僕は少しだけ「手伝ってあげれば良かったかなぁ」と思いました。
(新宿区・PN:モリモリモリモリバスッバスッ)
[関脇]
よく真冬でも半袖半ズボンを自慢するうすらバカ小学生がいますが、僕が15歳まで住んでいた新潟十日町では、そんなことをしたらあっさり肺炎になるのがお約束で、例外は牧口君こと通称「まっくんば」だけでした。
インフルエンザが大流行して学級閉鎖どころか学校閉鎖になった時も、牧口君だけは大丈夫で、大丈夫というか牧口君もインフルエンザにはかかっていて、40度近い熱はあったにも関わらず、「体ポカポカするからー」という理由でランニングで学校に来たほどの強者でした。
そんな牧口君が、ある雪の朝学校に来ていません。
聞けば、頭痛がするから保健室で寝ているとのこと。今年広島の大野が急に先発した時のような驚きを覚えたものです。
珍しいこともあるのだなぁとクラス一同ざわついていると、担任が入ってきて、「えー、今朝牧口君が登校中、落ちてきたつららがつむじに刺さってしまい、病院に運ばれました」との衝撃の告白。
しかもその日の給食の時間には、頭を高級メロンのようにネットで包みながらも、しっかり着席している牧口君がおり、本来なら大惨事の所を「アイスクライマー」だの「マリオの三面」だのと親しまれていました。
(習志野・PN:プリット博士)
[大関]
中学校になっても迷子札をぶら下げていた男といえば、足立十中生なら誰でも知っている蒲生(がもう)君。
蒲生君が中学校2年の時のこと。
僕らは2泊3日でキャンプに行きました。皆がデカいリュックを背負ってデカい水筒をぶら下げている中、折畳み傘一本でバスに乗り込んだあたりは蒲生君らしい一面でしたが、圧巻は食事の時間でした。
皆が河原に散らばり、飯盒でご飯を炊いたりカレーを煮ている中、一人蒲生君は林に入っていき、栗の木を発見。
片手で栗の木をゆさゆさ揺すり、雨あられのようにいがぐりをボトボト落として、もう一方の手で持った折畳み傘で、一ヵ所に正確に打ち返し、そのイガをミカンを剥くように剥き、石で組んだかまどにどっさり投げ込み、「パンパン」と機関銃のように飛び出してくる火のついた栗を、首から上のフットワークで左右に避け、拾い集めた後モリモリ食べて石だらけの河原に横になるという、山賊もしくは野生のマンドリルのような食生活で1日目を乗り切り、2日目は朝から折畳み傘で山鳩やマスを狩り、夜は折畳み傘で田坂君を殴り、森永デラックス小枝を奪い取りと、折畳み傘1本でアウトドラライフを満喫するという豪快さでした。
ちなみに帰りのバスで戻した時も、とっさに折畳み傘の中に吐き、その日から蒲生君の一番の親友は折畳み傘になりました。
蒲生君の性格を表わすもう1個の証拠として、蒲生君の卒業文集の将来の夢の欄には、「ゴリラを飼いたい」と書いてありました。
以上。
(杉並・PN:ポメラニアンジュ)
[関脇]
空手バカ一代ならぬバカ柔道の俵君改め米俵君の話をさせて下さい。
僕の学校の柔道場には、柔道部員の名前が書いてあるかまばこ板みたいのがズラッと並んでいて、部活の出席者は黒い名字の方、休みの人は裏の赤い名字の方が表示される仕組みになっていたんですが、米俵君と稽古をした人は、少なくとも向こう2ヶ月は赤い文字になりっぱなしなので、ほとんど真っ赤になってしまい、いつしか米俵君は独りで稽古をするようになっていました。
その方法というのが、校庭のバスケットゴールのポールに黒帯を巻き付けて、一人で背負い投げを練習を続けるというもので、バスケ部の練習中も、他校との対抗試合中も「トリャートリャートリャートリャートリャートリャートリャトリャトリャリャー」、まるで一週間の歌よろしく稽古を続けている米俵君のすさまじさでした。
それでも、やめさせるよりは他校のバスケットの選手に「あれはただのコートの出っ張りだから」と説明する方が簡単という理由で、ほっておかれたのです。
修行が始まってから4ヶ月ぐらい経ってからでしょうか、今思えば他校のバスケット部員から「この学校のゴール、リバウンドが変ですねぇ」と言われ出していた頃のことです。
とある放課後、俵君がいつものように背負い投げの練習を始めて5分、俵君はついにバスケットゴールに勝ちました。
真っ赤な顔をして、息をシューシュー言わせている米俵君の前に、根元からもっきり折れたバスケットのゴールが倒れていました。
あれから2ヶ月、生徒手帳の校則の欄の補足の項に、「俵君のバスケットコートへの出入りを禁ず」という一行が足され、今俵君は非常階段に黒帯を結んで、打倒校舎に励んでいます。
(東村山市・PN:雑巾ダンスって言うな)
[横綱]
今から2年ほど前、僕らの周りでかなり本格的にMTB(モトクロス自転車)が流行っていて、僕も含めて親友3人は毎週のように草レースにエントリーしていました。
僕らが毎週レースに出ていた理由は、MTBが大好きという他に、もう1つありました。それは保体の教科書の筋肉の絵こと、宇田川君と遊びたくないという理由でした。
毎週宇田川の「でてぃようび、あどぼうでー(和訳:日曜日、遊ぼうぜー)」の恐怖の誘いを、「ごめーん、レースあるからー」と断っていたんですが、宇田川君もいいかげん一人で町中の自動販売機を裏返しにする遊びに飽きてしまったらしく、ある日曜日の早朝、僕の家の前でMTB3人衆が出発しようとした瞬間、宇田川君が自転車にまたがり「おでもでーどぅー、おでもでーどぅー(和訳:俺もレース)」となついて来てしまったのです。
乗ってる自転車は当然ママチャリ。しかもボディに白ペンキで「スーパーはやい号」とネームが書かれていることを見て、もはや誰にも宇田川君を止めることは出来ないと悟り、江戸川の土手に移動。ついに宇田川君がMTB界にデビューしたのです。
スタート直前、周りの大人からママチャリをバカにされていた宇田川君、シグナルが青に変わるや否や、猛ダッシュ。
あの時のスーパーはやい号の速いのなんの。ギアもへったくれもなく、高級MTBをゴボウ抜き。
1回ジャンプしてはスポークを2本3本折り、カーブしてはブレーキワイヤーを握力で引き千切り、本当のMTBに乗る僕らをぐんぐんと引き離し、ついには周回遅れ寸前まで追いつめられた時、僕は生まれてこの方、一番恐ろしい音楽を聞いたのです。
16段変速のMTBに乗る僕でさえ足はパンパンもうヘトヘトなのに、僕の後ろから妙に元気な「おっかーをこーえーゆっこーおよー、くっちーぶえーふきつーつー」という歌声が、どんどん近づいてきたかと思うと、あっという間に僕を追い越していったのです。
結局僕はその音楽で精神的ダメージを受けリタイア。宇田川君は24台中トップでゴール。
そして表彰式の段階でエントリー名簿に宇田川などという名前がないことが発覚、失格となるも他の大人達に誉められ、上機嫌でしたと。
(PN:榎さんのおはよう3456)
[横綱]
あれは小学校の遠足の時のことです。
当時からポマトとして有名だった榎本君の行動は、常人には考えられないような珍肉ぶりを見せつけてくれていました。
行きの時はせいぜい早く登りたいからと言って、うねった山道を無視して直線で頂上を目指す程度でしたが、山頂に着いてリュックの半分を占めていた食料を平らげてからは本領を発揮。
なぜか角材を持っている彼に、「それ何?」と尋ねると「つえ。」の答え。しかしその杖には、「高尾山山頂」の文字。
先生達の「下りだから杖はいりません」という見当違いの説得に、渋々従ったまでは比較的学校でも良くある光景。
実際に下りる時、またも道を無視し直進で下りていった珍肉。避けきれず大木に激突。
さすがの珍肉も動きが止まりましたが、ところが体当たりした巨木、どうも腐っていたようで、ミシミシいったかと思うと綺麗に倒れてしまいました。しかも運が悪いことに、これから下るはずの道をふさぐ形で。
結局我々は別の道から下りるはめになり、珍肉君は私たちの後ろを担架に乗って下山したようです。
(川崎・PN:名もなきリスナー)
[関脇]
僕らが小学校6年生の臨海学校で伊豆に行った時のことです。
2日目の磯の生物の観察の時間、先生の「磯だまりの生物を1人1種類採集してきなさい」の命令に、各生徒岩場に散ったまでは良くある光景だったのですが、ふと気付くと飼育係に立候補でなった男、野村君がいません。
6年1組の野村君と言えばスパルタうさぎ調教で、校内には知らぬ者がいないほどの動物好きで、5年生の林間学校の那須高原では、その山の生態系を乱すほどのメスカブトを獲ってきた男として、今回の臨海学校でも密かな注目の的だった男です。
その野村がいない。僕らは楽しみにしていたダウンタウンの番組がバレーボールで中止になったほどしょんぼりしていたのですが、今週の野村版「ごっつええ感じ」は30分遅れで始まったんです。
集合時間を過ぎること30分、はるか遠くのテトラポッドのまだ向こうから、砂煙を上げて野村君が走ってくるじゃありませんか。しかも、背中に死ぬほどアワビが入った空き袋をかついで。
みんなが「野村、それどこにいたの?」「どこで獲ったの?」と聞いても、「群棲地。」とだけ答えて、得意顔の野村君。
宿舎に戻ると、大きな模造紙に極太マジックで「採集現場」と汚い字で書くと、その下に色マジックで汚い絵で右手にアワビ、左手に木の棒を持った自分と、そのバックに「漁村」、その傍らに倒れている漁師さんを書き連ね、あとは太マジックで36個のアワビ1つ1つにつけた名前を書き出していました。
その夜、漁協の人らしき人数名が怒鳴り込んできた時も、「せめてジョンソンだけは置いていって下さい」と食い下がっていたムツゴロウ野村。
今いずこ。
(荒川区・PN:ドル箱スタ男)
[大関]
あれはまだ僕が小学校3年の頃、近所の「珍肉兄ちゃん」こと、西海君のマンションへ遊びに行った時のことでした。
小学校6年生にして、すでに体重80キロを超えていた彼は、僕ら年下のガキ連中に「海兄ちゃん」と親しみを込めて呼ばれていました。
8階に住む彼の家に僕ら友人含めて4人で、もう既に僕たちの間で恒例になっている、8階までのエレベーターゆすりを満喫しました。
その日は普段よりも余計に揺れていたので、その揺られ心地をよせばいいのに海兄ちゃんに報告した所、「俺も乗ればもっとスリル出るぜ。」と言ったので、1階までの下りのエレベーターで一緒にエレベーターゆすり(僕らの中では既にオリンピック競技になっている)をすることになりました。
それは僕たちが今まで経験したことのない、今スペースシャトルから地上に降りようとしている宇宙船の中にいるような激しさでした。
と、そこまでは良かったのですが、エレベーターの中の電気が2回ほどフラッシュしたかと思うと消え、やはりエレベーターはストップ。僕らはエレベーターの中に閉じ込められてしまいました。
泣く僕らを横目に海兄ちゃんは、「俺にまかしときー。」と力強い言葉。僕は非常ボタンでも押してくれるのかなーと思いきや、海兄ちゃんは力任せにエレベーターの扉をこじ開けたのです。
しかし運が悪いことにそこは4階と3階の間。3階の扉の上の方が少し開いている程度でした。
そこで海兄ちゃんの珍肉力フルパワー。その3階上部の隙間に手を引っかけると、その上部を持ち上げるようにして思いっきり引っ張ったのです。
すると、エレベーターのギシギシという音と共に、エレベーターは少しずつ下降。見事3階から脱出することが出来たんです。
その後海兄ちゃんは、ウェイトリフティングの道に進みましたが、僕らは今でも4人揃うと、あの時よくエレベーターが人力で動いたよなぁと海兄ちゃんを酒の肴に盛り上がっています。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんが)
[大関]
先週伊集院さんが「昔を思い出せば結構いるもんだよ」とのヒントを下さったので、記憶という名の細い糸をたぐりよせた所、いましたねー、ポパイ・ザ・セーラーマン。
これは小学校3年の頃、川に遠足に行きリュックを置いた瞬間みんな川の方に走って行き、川の中の何の価値もない石を拾い上げては喜んでいた所、今回の主役の池上君、またの名をポパイ・ザ・セーラーマンがいません。
僕らは周りを見回した所、川下の方で楽しそうに浮き沈みをして、明らかに流されているポパイ・ザ・セーラーマンを発見しました。
先生にその折を通達すると、顔を青くした先生は川下に走って行き、楽しそうなポパイを引き上げました。
戻ってきたポパイ曰く、「海に行く。」との一言に、僕らは歓声を上げたが先生は1人、セーラーマンを叱っていました。
さあ、お昼ご飯の時間、ご飯を炊くための薪をみんなで拾いに行き、僕らが「先生、こんな大きい薪すごいでしょ。」と言うと、先生に「まあ、すごいわね。」と誉められるのを見るや否や、ポパイ・ザ・セーラーマンは森の中に走っていき、「うーん、うーん」と野グソのような唸り声を上げ、それを聞き付けた先生と僕らが声のする方に行くと、ポパイが全長20mはある松の樹を引き抜こうとしていました。
先生が「やめなさい!」と言うや否や、今度は隣の松の樹に行き、これまた抜こうとしていました。
たまりかねた先生は「もう、怒りますよ!」と言い放つと、少し涙を浮かべたポパイ・ザ・セーラーマンは一言「やめない。」と言い、その声は空しく森の中方々をこだまして響き、ポパイは遠足終了までずっと松の樹を抜こうとしていました。
そんなポパイも今は大学生。でも変わっていない。
(練馬区・PN:谷村有美)
[小結]
いたよー珍肉。
あれは中学校1年の時、仲の良かった桜井君。彼は巨漢の中でも平べったいタイプで、『動く壁』というニックネームを持っていました。
そんな彼と山頂の神社へ、長い長い階段を登っていた時の事。僕が疲れてとっておきのレモン水を飲もうとしたら、桜井君は「それ俺にもよこせよ。」と奪い取ろうとしてきました。
しかしせっかく大切にここまで取っておいたレモン水。僕が抵抗すると桜井君は足を踏み外し、まるで縁日で売っている階段を降りるバネよろしく転げ落ちていきました。
彼の「うわー」という叫び声が次第に小さくなっていく。
慌ててスプリングを追いかけ、ようやく彼の所に行くと、起き上がった彼の第一声が「なな、今の俺の叫び声さ、ブルース・リーに似てない?ねえ、アチョーっていうのに似てなかった?」とぼろぼろになりながら言ってきたので、僕はなぜか涙を流しながら「似てたよー、似てたとも。」と彼を必死に慰め、一瞬彼が死んだらお墓に添えようと思っていたレモン水を彼に渡し、彼はごくごくと飲みながら二人で山頂を目指しました。
彼が山頂に着いてお願いした事は、「今年1年健康でいられますように」。僕はもう十分だろうと思いつつ、「こいつと違うクラスになりたい」とお願いしましたとさ。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんが)
[小結]
中学校の時、保坂君という珍肉がいました。体格が相撲向きとの理由だけで相撲部に強制入部させられた珍肉。なんと練習する間もなく翌日の大会の名簿に載せられました。
あいにく相撲のルールを知らない彼は、『円から出たら負け』『転んだら負け』の2要素だけをたっぷりと叩き込まれて出場。ラリアットやタックル、はたまたアイアンクローを駆使して決勝まで進出。
運営委員会の大論争を横目に、土俵上ですわった目で相手を睨み、今にも飛びかからんとする様子。さすがにヤバイと思ったが、時既に遅し。ジャンケンのチョキが相手の両目にぴたりと決まり、対戦相手は土俵の下で沢ガニよろしく泡を吹いていました。
珍肉君は表彰が始まる前に、退部どころか最初っからそんな人はいないとなり、その後は平凡な学校生活を送っていましたとさ。
(PN:名もなきリスナー)
[お前はチャンコでも作ってろ!!]
小学校の頃、僕らのクラスではプロレスごっこが大流行していました。
ある冬の日、猪木の役どころの中谷君がハルク・ホーガン役の小島にロープに振られた時、伝説は生まれました。
当時の小学校のクラスプロレスで全国共通だとは思いますが、ロープに振られたらありもしないロープに跳ね返って戻ってくるというのが暗黙の了解だったのですが、この日に限ってアントニオ中谷君が跳ね返ってきません。
中谷君は2階の教室のドアから落ちてました。
教室は一瞬シーンと静まり返り、さすがの小学生も恐ろしくて窓の外を見る事は出来ず、小学生の僕らに出来る事といえば投げ飛ばした小島君を指差し「あーらーらーこーらーらー、いーけないんだーいけないんだー」とコーラスする事だけでした。
あららこららが3コーラスぐらい続いた時でしょうか、入り口のあたりの合唱団の歌声に混じって、「猪木!ボンバイエ!猪木!ボンバイエ!」という声が聞こえてきたかと思うと、その間をかき分けて血だらけの中谷君が入場してくるではありませんか。
中谷君は大合唱になった「猪木ボンバイエ」に気をよくし、ホーガンに延髄切りを閃光一発。小島君は事が大事に至らなかったという事で、嬉し泣きしながらフォールされていました。
その後の勝利者インタビュー中、アントンは「なぜ大丈夫だったのですか?」の問いに対して、「燃える闘魂だから。」と力強く答え、人気急上昇。クラス委員選挙に出馬、当選という、まさに上尾のアントニオ猪木としての生活を満喫していましたとさ。
(埼玉県上尾市・PN:ウッシッシッシッシー)
[関脇]
中学校の時のクラスメイトの自称『心優しき力持ち』、清水美穂さんは横綱です。
清水さんは中学校2年生にして、顔は梅宮辰夫で体は梅宮辰夫という、どこにでもいる女の子版梅宮辰夫なんですが、有り余る体力にもかかわらず決して暴力を振るわず、腹を立てた時の彼女が唯一取る行動は、重い物を持ち上げて相手を威嚇するというもので、自分の親友をいじめた男子の前で机を頭の上まで持ち上げて仁王立ちし、「あやまんなさい。」とすごむのが彼女の学園生活でした。
ある日のこと、僕が給食の時間手を洗ってクラスに戻ると、いつものごとく高山和俊君(仮名)の前で美穂が仁王立ちしていました。しかも一番いいシーンでした。
今まさに机に手をかけ持ち上げようとしている所に間一髪間にあって、心の中で少し得した気分の僕が目の当たりにしたのは、力いっぱい持ち上げた机の中からあふれる学用品の滝。
国語辞典をどタマで受けても微動だにしないマンモスコング。
そしてゆっくり落ちてきて彼女のつむじにぷっ刺さるコンパス。
まばたきもせず「あやまりなさい」と言う女。
「ごめんなさい」と言う高山。
静かに机を降ろす美穂。
一緒に学用品を片付ける2人。
机の持ち主の松井君に「ごめんねー」と言う女。
「だいじょぶだいじょぶー」と松井君。
助けてもらった小林さんが「いつもありがとう」。
「何かあったら私に言いなよ」と美穂。
暖かい雰囲気になるクラス。
まだ刺さってるコンパス、というちょっとした中学生日記でした。
今だから言えますが、いじめられてた小林さんが好きでした。
(鳩ヶ谷・PN:大野ガーンバレ)
[関脇]
僕の友人の広沢学君(仮)は我が高一の珍肉野郎です。
彼はいつもは美術部でおとなしく犬を見ながら猫のような生き物を描いているのですが、ある日校舎の裏で放課後に、岩を相手に突きの練習をしていたのが見つかり、弱小で有名だった水泳部に無理矢理入部させられたんです。
しかも入った日というのが水泳大会の当日。有無を言わさず100m自由形に出されたんです。学君は自由形だからどんな泳ぎ方をしてもいいと解釈し、ニヤリと笑い第3コースの飛び込み台へと歩いて行きました。
そして号砲が鳴るなり、いざスタートしてみると、他のみんながクロールをしている中、学君はドリルのような妙な回転をしながら、しかも信じられないスピードでトップを奪い、そのままゴールしたのです。
見事1位に輝いた学君だったのですが、その後顧問の先生が彼に何度普通のクロールを教えても、結局5m地点からドリルになってしまうため、彼がその他の大会に出る事はなかったものの、もし、もし万が一オリンピックの水泳種目に「ドリル」というのがあれば、きっと金メダルを取ったに違いありません。私は信じています。
(東京都豊島区・PN:バチェラー命)
[小結]
今日の僕の推薦は、我が高陸上部のゴム帽子をかぶったゴリラこと神津君です。
彼はそれまでにも110mハードルの最後のハードルを足首にひっかけたままトップでゴールするなど、伝説の多かった人でしたが、この秋高校生活最後の体育祭のリレーのアンカーとして登場。元々タイム的には素晴らしいものを持っていた神津君。大逆転の期待を背に、バトンタッチ。
1位との差50m弱を縮めるために彼の頭の中のロケットブースターに火が入ったまでは良かったが、受け取ったバトンの持ち方が悪かったのと、大歓声を受けて力が入りすぎたのが災いして、彼が1歩踏み込むごとに振り上げたバトンが自分の鼻を何度も激打。トラックの4分の1ぐらいの所でボタボタと鼻血を流し出し、彼の走った後には『ヘンゼルとグレーテル』よろしく迷子にならないよう赤い線が点々と続いている始末。
結局大逆転ゴールしたにもかかわらず、鼻血メイクの赤鬼に近づく者は誰もなく、1人ゴールでたたずむ彼は、白組代表なのにもかかわらず、赤組の選手になっていました。
(東京都小平市・PN:淋しい人面魚)
[小結]
幼稚園の時の記憶なのでかなり薄ぼんやりとしているんですが、すーちゃんという近所の子供がいました。多分鈴原か鈴本だったと思います。
ある日、幼稚園から帰ってからみんなで集まって缶蹴りをしていた時の事。いくら捜してもすーちゃんだけが見つからないので、鬼の私が途方に暮れていると、突如砂場の砂が盛り上がり、中からすーちゃんが飛び出してきました。
私が恐怖でわんわん泣いてしまい、缶蹴りは中止になったものの、その後もすーちゃん命懸けの自分隠ぺい大作戦は続き、ある時は池の中に隠れて水面に顔だけ覗かせ、その自分の顔の上に葉っぱをかけていたり、ある時はごみ箱の中に隠れて頭の上に魚の骨をたくさんのっけて出てきたり、極めつけは幻の奥義『トマホークミサイル』。
鬼の横をちり紙交換の車が通るやいなや、隣町まで行って予め隠れていた荷台から飛び出してきて缶を蹴る始末。
こんなすーちゃんのトマホークミサイルは予想と逆方向に向かって走り出した車から降りられなくなり、大宮で保護されたあの日から陽の目を見る事はなくなりました。
元気かな、すーちゃん。
(大田区・PN:女性リスナーだってネタ書くよ・まみ2世)
[大関]
家から1里程度離れた僕のテリトリーにいました、かたまりが。
そのかたまりさんは、CDレンタル店で働いている奴で、もう11月にもなるのにノーブランドのタンクトップを着ていたのがとても印象的でした。
とにかく僕は谷村有美のニューアルバムを借りるべく、彼女のCDの棚の前に行ったのですが、そこにはかたまりさんが何か作業をしていました。
見るとそのかたまりは谷村有美の棚に谷村真司や谷山浩子、挙げ句の果てには谷啓のCDまで無造作に入れていたので、「あのー、それ間違ってますよ。」と指摘した所、かたまり曰く、「谷村と谷村、一緒でしょ。」などと言い出しました。
僕は「じゃあ、谷啓は?」と言いながらも腹が立ち、さっさと借りて帰ろうとCDを取り、カウンターに行きました。
するとかたまりさんが今更白々しくマニュアル通りの微笑みを浮かべ、「いらっしゃいませ。」と言ったので、僕はCDを投げつけるように渡しました。
するとかたまりさんは、ぶるぶると震えた手でバーコードを読み取る機械をCDのバーコードシールに押し付けた所、『パリーン』とすさまじい音が店内に鳴り響き、CDケースは粉々に砕けてしまいました。
これにはさすがのかたまりさんも動揺したらしく、涙目になりながら散った破片を片していました。
そんなかたまりさんの大きな背中を見ていると、なんだか「こいつもしかしていい奴かも?」と思った午後のひとときでした。
(練馬区・PN:谷村有美プラスアルファ)
[お前はチャンコでも作ってろ!!]
あれは小学校5年生の時です。
ある日の昼休み、2階の教室のベランダで親友の『象が踏んでも壊れない男』こと石田君に「校庭のトーテムポール1人で引っこ抜けたら100円やるよ。」と何気なく言ったのが運の尽き。
石田君は黙って僕の目をしばらく見つめた後、コクッとうなずいて教室をのっしのっしと出て行きました。
いくら石田君といえども所詮は子供。高さ3m以上はあるトーテムポールを1人で引っこ抜けるはずがないとたかをくくっていた僕でしたが、しばらくして外から聞こえてきた僕の名前を呼ぶ声に、はっとしました。
僕がベランダから下を覗くと、そこには左脇に1本、右脇に2本のトーテムポールを抱えた石田君が、仁王立ちして勝ち誇った表情で上を見上げ、目で300円を要求していたのです。彼の後方には、3本のトーテムポールを引きずった跡が延々と続いていました。
僕は3本抜けなんて、しかもここまで持ってこいなんて一言も言っていないのに。
その頃校庭では、4本あったトーテムポールのうち3本が消失しているのを発見した保健の先生が、しきりに首を傾げながら、3本の大穴と1本のかなり傾いたトーテムポールを見つめていたとのことです。
(千葉県・PN:ガンビット)
[大関]
庭の柿も熟し、目にも口にも美味しい秋ですね。
さて珍肉ですが、小学校の頃の友人、大橋君がまさしくそうでした。
あれは体育の授業の時、先生が体育倉庫の鍵を忘れたために、僕らのクラスはたまたま転がっていたバスケットボールを使ってドッジボールをやる事になりました。
バスケットボールはドッジボールよりも硬く大きいため、特別ルールとして頭を狙うのは禁止となり、さらに補足として顔面にボールが当たっててもノーカウントとすることで試合は始まりました。
跳び箱、かけっこは得意中の得意なものの、ルールのあるスポーツはドッジボールどころか給食当番ですらダメな大橋君。よせばいいのにその発酵した脳みそをフル回転させて考えたあげく、「全てのボールを頭で跳ね返せばノーカン」というID作戦をはじき出し、即実行。観客のぶつける度のオーという歓声に応えるかのように、大橋君は自慢そうにド頭をなでていました。
そこまでは良かったのですが、きっと今ごろはマジック・ジョンソンと呼ばれているであろうクラス1のドッジボーラー名倉君が、ものすごい顔で豪速球を投げたからさあ面白い。
そのボールを大橋君が頭で受けた瞬間、「ゴム」という聞いた事のない鈍い音と共に大橋君は崩れ落ち、小学生ドッジボール界初のTKO負け。面白い色のあぶくを吐きながら保健室に運ばれて行きました。
意識を取り戻した大橋君の第一声は、「ノーカン?」でした。
(静岡県磐田郡・PN:プローグプラスアルファ)
[小結]
うちの近所にもいました。行き場を失ってじたばたと力を余しているチクタクバンバンみたいな奴が。
彼、小川君は一応うちの高校の生徒会役員をしているんですが、使われるのはいつも力仕事。今日もせっせと文化祭の準備を手伝わされていました。
そんな時、彼を突然の不幸が襲ったんです。それは3階に置いてある演劇の道具を、面倒くさいから窓から下へ落とそうという事になったんです。下でキャッチするのはもちろん小川。
こうして次々とパネルやら服の詰まったダンボール箱やらをゲームウォッチよろしく受け取っていたんですが、3階にいた先生が「これも頼むぞ小川ー。」と何を思ったのか、演劇「ロミオとジュリエット」で使うエンタシスの柱4本を下にいる小川君向けて落としたんです。
きっとハリボテだろうと思った小川君はナイスキャッチしたかに見えましたが、さすがに木の柱はきつかったらしく、右腕の骨1本とエンタシス3本を折ってしまいました。
それでも小川君は「俺は1対3で勝っている」と言い張っていました。
(東京都渋谷区・PN:ぼくらはずっとTBS)
[関脇]
高1の時の担任が体育教師兼野球部の監督だったんですわ。こいつが体育の授業の時、スピードガンを持ってきて『輝け!第1回オレ杯争奪速球王コンテスト』を開いた事があったっす。
野球部は弱いし頭も悪いので、中学校まではリトルリーグのエースだったけど、部活もかったるいから帰宅部みたいな奴がクラスに3,4人いて130kmぐらいは当たり前田のロッテから中日ナックル大得意左腕状態だったっす。
そこで珍肉登場。足短く小太り、163cmの男片桐は4次元ポケットのないドラえもん、略して「バカ」と呼ばれているぐらいのダメ人間だったんですが、なんと出した記録が141km。
早速野球部強制入部させられちゃったのが運の尽き。体力は伊良部だが頭脳も伊良部。しかも野球のルールだけは知らないといった有り様で、初登板の練習試合で相手高の4番エースをピッチャーゴロに打ち取った次の瞬間、キックベースよろしく自慢の豪速球で撃沈、病院送り。
それはダメなんだよーと注意されるも、代走で出たランナーに牽制球命中、撃沈。ユニフォームを着たまま、チャリで逃走。学校からも逃走。
今現在、登板間隔中5年、片桐。
(神奈川県平塚市・PN:中学校の時のニックネームは「シャア専用旧ザク」だった男改めラ・クソコーン)
[小結]
僕の高校は「3ない運動」とやらで、バイクの免許を取る事は禁止だったんですが、当時僕は内緒でバイク通学をしていました。
ある日の下校時、学校のそばに止めてあった僕のTZR250にまたがろうとしている所に、鉄道研究会には無駄とも思われる筋肉を持つ男こと、デゴイチ内田が彼のチャリンコ『雷鳥51号』にまたがり、汗だくでやって来ると、「シティーハンターの再放送が始まっちゃうから、引っ張ってってくれ。」と頼まれました。
彼のシティーハンターを思う必死の目に、心を打たれた僕は、彼を自転車で並走させて、彼に僕の肩をつかませてバイクをゆっくり走らせました。
ところが、悪い事はできないもので、運悪く生活指導の村本先生の自家用車が後ろから迫ってくるじゃありませんか。
こうなったら内田のシティーハンターどころじゃないので、内田の手を振りほどきフル加速。90キロオーバーの速度でぶっ飛ばし、やっとのことで車をまき、ほっと一息つくと、後ろから何やら声が。
「…オープニング始まっちゃうよぉ。」そこには、500円傘を片手に持ち、傘の取っ手を僕のバイクの後ろのシートに引っかけ、機関車トーマスフォーメーションになっている内田の姿がありました。
100キロ近いスピードで振り回されつつも、握力だけで付いてきた内田は、お礼にと大事にしていたブルートレインの生写真をくれました。
そんな内田へ、僕からのアドバイスは、「運動部に入れ。」
(豊島区・PN:ジェットマン)
[関脇]
高校の時に、水泳部のエースとして鍛えに鍛えて、脳みそが自由形だったマチョ村君こと西村君が、水泳大会のメドレーリレーの時の事。
大詰めまでタッチの差で2位だった、僕らのクラスのアンカーマチョ村君。トップの4組のアンカーと、0.5秒差でタッチを受けると、両足の筋肉をフルに使い、飛び込み台を離陸。マチョ村君と夏の輝く太陽が一つになったかと思うほどの高さから、急降下した先は、4組のアンカーのド背中でした。
静まり返るプールサイド。赤い水煙幕の中浮かび上がってきたのは、約100ノットでばく進する人間魚雷こと、マチョ村選手でした。
瞬く間にトップゴールで御満悦の彼に失格が告げられた頃、4組のアンカーさんがうつ伏せに静かに浮上。4組の女子は泣いていました。
(埼玉県鳩ヶ谷市・PN:大野ガンバレ)
[小結]
いましたよ、うちの近所にも。スイッチが壊れてる奴、もとい珍肉な人が。
先日、自分の母校の中学校のグランドの前を通ると、スポーツテストをやっていたんですが、中学生にもかかわらず一人だけ、つば付き紅白帽でウルトラマンをやっている奴がいたので、ターゲットはこいつだと思って注目して見続けると、案の定彼は珍肉でした。
50m走を『ネコふんじゃった』を歌いながら5秒台で走りぬけたり、ハンドボール投げを終えた後に、「平べったい小石だったらもっと飛ぶのに」と言い訳しながら50mはゆうに投げていたり、前を走っている子犬を追っかけているうちに1500mを都のレコードタイムで走り抜いたり、皆が疲労でぐったりしている空き時間に校庭にいるハトを全力で追っかけまわしたりと、僕の目を飽きさせない動きをしていました。
名も知れぬ彼のおかげで、中々充実した秋の一日でした。
(練馬区・PN:ねぎみそ)
[大関]
いますよいますよ、もう。ネジを回しすぎてかえって止まってしまったチョロQみたいな珍肉さんが。
そいつは普段は公園の砂場でネコと一緒にひなたぼっこをしていたり、Tシャツの後ろがしまってもしまっても出ちゃうような陽気な奴なんですが、ひとたびゲームセンターでゲームをすると、つい力が入りすぎてしまう筋肉男、山本君こと山本名人です。
彼は今までにゲーム機のレバーを折る事4本、ボタンをぶっ壊す事7個、ハンドルをはずす事2回などの実績のほか、ピンボールで玉がアウトになりそうになると台の手前側を1mほど持ち上げ、強引にボールを戻すという荒業をやってのけたり、お金の両替機を殴り、金額表示の所に変な数字を並べてみたり、挙げ句の果てにはオートバイゲームの『ハングオン』で、本当にゲーム機ごと転倒したりと、まさに我が街のゲームセンターの 間では、違う意味での『ゲームセンターあらし』として、恐れられています。
(東京都中野区・PN:テレフォンもんがもんが)
[関脇]